泣く子も黙る猛将!張遼とは!?

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皆さん、こんにちは!こんばんは!うまぽよです🐴✨

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さて、今回は突出した武勇によって、敵国に恐怖を与えた魏の猛将をご紹介いたします!その生涯を一緒に学んで、人生のヒントを見つけていきましょう!

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「大将首、この張文遠がもらい受ける!!」

英雄名

張遼(ちょうりょう)字:文遠(ぶんえん)

生 涯(165年~222年)

張遼は、165年に中国大陸北部、并州(現在の山西省)で生まれました。幼いころから常人離れした武勇を持っていたことから、はじめ丁原(ていげん)という武将に見い出され、仕えることになりました。しかし、しばらくして丁原は暴虐の徒:董卓(とうたく)によって殺され、その董卓は鬼神:呂布によって殺されてしまいます。張遼は、その度に主君を変えることを余儀なくされてしまいました(注意:決して張遼が浮気性なわけではありませんよ!)。

董卓死後、呂布に仕えた張遼は、人徳王:劉備覇王:曹操の連合軍を相手に奮戦しますが、その中で運命の出会いがありました。それが後に親友となる軍神:関羽との出会いです。関羽が「君ほどの優れた人物が、なぜ呂布という猛獣に仕えているのだ!?」と問うと、張遼は黙って軍を引き上げました。張遼としても何か思うところがあったかもしれません。しかし、義を尊ぶ張遼はそれでも最期まで呂布を裏切ることはありませんでした。

戦況は次第に劉備・曹操連合軍に有利となり、呂布軍は敗北。張遼は呂布とともに捕縛され、曹操の前に連れてこられました。すると「俺の武力を使えば天下を獲れるぞ!」とふてぶてしい態度をとった呂布に対して、「見苦しいことはせぬ。早く処刑するがよろしい」と整然としている張遼。それを見た曹操は呂布を処刑し、張遼は自分の配下に加えることにしたのです(ちなみに関羽も、張遼を死なせるのは惜しいと曹操に助言しています)。

長く主君に恵まれなかった張遼でしたが、曹操という真の主君を得たことにより、その才能は爆発的に開花していくこととなります。加えて、自分の命を救うために動いてくれた関羽とは親交を深めていくました。

198年、劉備が曹操から独立すると、それを素早く撃破。劉備を逃がすために死を覚悟して戦う関羽を説得して、一時的に曹操のもとへ降らせることにも成功しています。

200年、北部の雄:袁紹との”官渡の戦い”においては、敵の弓矢で負傷していながら何度も出撃して勝利に貢献。その中で、親友:関羽が曹操のもとを去ることとなりますが、それを引き留めることなく両者の仲が悪くならないように動きました(いいやつやんけ!(^^♪)。

その後、袁紹軍の残党と北方の異民族(騎馬兵が主力の超強い民族よ!)の連合軍を相手に、怒涛の進撃を行って敵の大将を討ち取りました(超強いの上をいく強さ!( ゚Д゚))。この活躍によって、曹操は大陸の中央から北部を手中に収めることとなったのです。

208年、”赤壁の戦い”にて曹操軍は大敗を喫してしまいます。敵である孫権軍は勢いに乗って攻勢をかけてきました。その攻撃目標である「合肥(がっぴ)」という地の防衛を張遼は任せられることとなります。この地こそが、張遼を伝説に導く場所となります。

孫権は自ら軍を率いて攻め寄せてきましたが、張遼は手堅い戦で防戦します。困り果てた孫権は作戦を変更し、敵軍にスパイを送り込んでの火攻めを計画しまが、これも冷静な張遼は見抜いており、逆に計略を仕掛け返して敵軍に大損害を与えました。

更に215年、再び力を取り戻した孫権は10万もの大軍を率いて攻めてきました。前とは比べ物にならない敵の大軍にたじろぐ魏の将兵たち。そうした中にあっても張遼の眼は鋭く光っていました。

張遼は自分に付き従う勇気ある部下800人を募ると、夜明けとともに出陣し敵陣に突撃を仕掛けました。激流のような速さで迫り、修羅の如く将兵をなぎ倒していく張遼。敵に囲まれては蹴散らし、味方が取り残されれば素早く引き返して救いました。張遼の縦横無尽の活躍によって敵軍は完全崩壊となり退却を始めました。この機会を見逃さず激しい追撃を加えた張遼は敵大将の孫権をあと一歩のところまで追い詰めますが、ギリギリで取り逃がしてしまうのでした(800の兵士で10万の兵士を退けた・・・マジか(‘ω’))。しかしながら、しっかりと領地を守り切ったことで曹操から高い評価を受けることとなりました。

主君が曹操からその息子:曹丕に代替わりしてからも武勇と忠義を尽くした張遼でしたが、病床に伏せることが多くなり222年に没してしまいました。張遼が病の時でさえ、敵国では警戒されるほどその武名は天下に轟いていたといいます。

エピソード

・敵国において、泣きわめく子供に対して「これ以上泣くと張遼が来るぞ!」と言うとピタッと泣き止んだといいます(これ本人聞いたらショックだろうな( ;∀;))

・軍神:関羽のほか、同僚で堅実な将軍:徐晃とも親交があったといわれます

・仲違いした同僚が実はとても優れた武将であることに気づいた張遼は、反省して仲直りを行いました

・漫画やゲームでもイケメン・渋メンに描かれていることが多く、とても人気のある武将であります

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私 見

高い武勇と冷静な判断力によって、勝利を引き寄せていく張遼。はじめこそ、満足な主君には恵まれなかったものの、曹操との出会いをきっかけに天下にその名を知らしめる活躍を生涯をみていると、人生において誰と出会うのかは非常に重要なことだなと考えさせられます。

張遼の長所は、

・高い武力、勇気、冷静さ、統率力を持っていること

・義理堅く、主君に対して忠義を貫くこと

短所は、

・意外にも仲が良くない武将が多いこと

こんなところでしょうか。常人離れした能力を持つ張遼の言動は、一部の同僚たちには理解しがたいものであったのかもしれません。しかし、義を尊びながらも着実に結果を出し続ける張遼はとても魅力的だと感じますね。

さて、いかがだったでしょうか。人生に役立つことはありましたか?

この記事を読んでいただいた方に幸福が訪れますように!!

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