義の軍神!関羽とは!?

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皆さん、こんにちは!こんばんは!うまぽよです!

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さて、今回は私自身が愛してやまない、蜀の軍神様をご紹介いたします!その生涯を一緒に学んで人生のヒントを発見していきましょう!

関羽:三国志シリーズより

「いざ、我が武に挑め。」

英雄名

関羽(かんう) 字:雲長(うんちょう)

生 涯

その出自は不明な関羽。太平道の道士:張角が黄巾の乱を起こすと、義勇兵を集めていた劉備と、武力に優れた弟分の張飛と出会い、劉備の身辺警護役を務めました。劉備・関羽・張飛は互いに強い絆で結ばれ、兄弟のように分け隔てない関係となりましが、対外的にはあくまで劉備を主君として立てていました。

劉備たちの活躍もあって黄巾の乱が鎮まると、今度は暴虐の徒:董卓が台頭してきました。董卓打倒の連合軍に劉備とともに参加した関羽は、董卓軍の猛将:華雄を一騎打ちにて討ち取る活躍を見せ、劉備のみならず曹操ら他勢力からも高い評価を受けることとなりました。

その後、徐州を得た劉備でしたが、天下の鬼神:呂布と仲違いして曹操を頼ります。
198年に劉備が曹操とともに呂布を撃破した時、関羽はその功績を認められ、曹操から中郎将という役職に任命されました。

199年、劉備が曹操の下を去り、再び徐州を占拠すると、関羽は城の守備と事務を代行する役目を担いました。

200年、劉備は曹操の攻撃を受けて敗北、その中で劉備は行方知れずとなり(実際は北の袁紹のもとへ落ち延びていた)、関羽は曹操の捕虜となってしまいます。そこは才能を愛する曹操、関羽に偏将軍の役職を与え、礼遇しました。

曹操は関羽の勇気や実力を高く評価しており、ずっと自分の下に居てくれないかなぁ思い、部下に行かせたところ、関羽は「私が劉備様を裏切ることは決してありえぬ。曹操殿からは良くしていただいているので、ご恩を返した後、立ち去りたいと考えている。」と答えました。そのことを聞いた曹操は「その義心こそ、関雲長なり!」と感心したといいます。

しばらくして、曹操と袁紹が官渡の地で雌雄を決する戦いに挑むと、関羽は袁紹軍の猛将:顔良への攻撃を曹操に命じられました。戦場に出た関羽は、顔良の旗印を見るなり突撃を開始、顔良に一閃を放ってこれを討ち取ります。その気迫と武勇の凄まじさたるや、袁紹軍の誰をもってしても手が出せないほどだったといわれております。曹操はその活躍を大いに喜びました。

顔良を討ち取るという功を立てた関羽が、必ず劉備のもとに戻ってしまうと考えた曹操は、関羽に多大な恩賞を与えました。しかし、関羽はこれらに封をして、曹操に手紙を書いて別れを告げると、劉備の元へと去っていきました。曹操は行動に感嘆すると、関羽を追いかけようとする部下に対して、「これでこそ、わしが認めた関羽よ。追う必要はない。」と言い聞かせました(三国志演義では、劉備の下へ行くことを止める曹操軍の武将ら6人を斬り伏せて進みます:関羽千里行)。

劉備が袁紹の元を去って、荊州の劉表へと身を寄せると、関羽もこれに同行しました。

208年、劉備が歴史に残る名軍師:諸葛亮を迎えて重用するようになると、張飛と一緒になって不満を持ちます。しかしその後の戦で、諸葛亮の智謀の素晴らしさに感心してからは、軍師として信頼していくこととなります。

同年、曹操が荊州に侵攻すると、関羽は船団率いて劉備と合流。曹操から逃げる劉備を援護しました。

赤壁の戦いで、孫権と共同して曹操を撃破した劉備は、その勢いに乗って荊州の領土を取り戻していきます。

さらに、劉備が大陸の西側:益州に入ると、関羽は諸葛亮と共に荊州の守備を任されました。後に劉備が益州の攻略を宣言すると、諸葛亮は張飛らと攻略に出て行き、荊州には関羽が残って曹操と孫権に睨みを効かせる役目を担いました。

劉備が益州を平定すると、関羽の功績は張飛・諸葛亮と同等に高く評価され、関羽は荊州の軍事長官に任命されることとなりました。これによって、荊州における軍事や内政面に関することは、劉備に伺いを立てずとも、関羽独断での判断が可能な状態となりました。

劉備と孫権の同盟は、赤壁の戦いからずっと続いてはいましたが、かねてから荊州の統治を巡る争いを抱えていました。そして215年、解決しないことに業を煮やした孫権が智将:魯粛(ろしゅく)を派遣、関羽と対談させます。会談は孫権側の有利で進行し、関羽も奮戦しますが結局、荊州の領土は分割されてしまいます。

219年の秋、関羽ら群臣に推挙され、劉備は漢中王を名乗ります。

その後、劉備の天下を目指し、関羽は水陸両軍を率い、子の関平らと共に曹操軍への攻撃を開始します。その勢いはまさに軍神、城を次々と落とし、曹操軍の援軍をも蹴散らし、敵将を斬り、寝返らせ、曹操の目前まで迫るほどのものでした。

曹操はこの事態に驚愕して、遷都まで考えましたが、曹操の配下の参謀:司馬懿らが落ち着かせ、これ以前に和議を結んでいた孫権をうまく利用して、関羽を背後から攻撃させる策を提案すると、曹操は冷静さを取り戻し、孫権と密約を結びました(ぐぬぬ、司馬懿ぃぃ。天才かよ。)。この策によって関羽は、逆に曹操・孫権軍に挟まれてしまうことになってしまったのです。

司馬懿の策略によって、孫権軍が援護に現れるという情報を聴いた曹操軍は勢いづき、加えて孫権軍の呂蒙や陸遜ら名将の緻密な軍略によって、関羽軍は徐々に追い込まれて大敗、荊州の劉備領はすっかり奪われて麦城という城まで撤退しました(うぅ・・(/_;))。

やがて孫権から降伏を勧める使者が派遣されてくると、関羽は降伏を受け入れるふりをして逃走を試みますが失敗、子の関平らと共に退路を断たれ、捕虜となります。最期に、孫権が関羽の能力を惜しみ配下になる気がないか尋ねると、関羽は「私は義に生き、義に死す者。ここで私を斬らねば、何度でも貴殿らに挑むことになろうぞ。」ときっぱりと答え、処刑されてしまうのでした。

(ノД`)・゜・。)

エピソード

・身長216cm、肌は紅く、48cmの美しく長いひげを蓄え「美髯公(びぜんこう)」とも呼ばれています。1日千里(約4,000km)を駆ける名馬:赤兎馬に跨り、武器は重さ18kgの竜の刻印が入った大薙刀「青龍偃月刀」を携える偉丈夫であったとされています。

・赤壁の戦いで大勝した直後のあるエピソード。諸葛亮は曹操の退路に伏兵を置くことにしました。張飛らがこの任務にあたり出陣する中、関羽の名前は呼ばれません。なぜ指名がないのか関羽が尋ねると「関羽殿は曹操に恩義がありますゆえ。」との返答が。関羽は「もし曹操を斬れなければ、命を差し出しても構わぬ。」と言い、諸葛亮はそれを信用して最後の伏兵場所に関羽を行かせます。
そして、命からがら逃げてきた曹操の前に現れた関羽。これまでかと覚悟した曹操は満身創痍で、部下たちも疲弊状態。そんな姿を目の当たりにした関羽は「昔お世話になった曹操殿に対して向ける刃はござらぬ。」と道を開け、見逃してしまいます。
諸葛亮はこの対応に激怒し、軍法により処刑することを言い渡そうとしますが、劉備がそれを必死に止めて事なきを得ます。しかし、これにはわざと曹操追撃に関羽を指名し見逃させることによって、曹操から受けた恩を意識している関羽の心のモヤモヤを清算させるという諸葛亮の意図があったのです(なんという孔明の罠!)

・有名な歴史書(注釈付き)「春秋左氏伝」が好きで暗唱できるほどであったといわれており、それを学んでいたおかげなのか、関羽の荊州での統治ぶりは恩徳と威信がよく行き渡っていたと伝わっています。

・あるとき、孫権から関羽に対して、関羽の娘と自分の子との婚姻の申し入れがあった時、関羽は「虎の娘を犬の子にやるわけにはいかん。」としてこれを断り、孫権を怒らせたとも伝わります。

・他勢力の武将からも「張飛と合わせて兵1万人に匹敵する武勇をもっている」「蜀の中で名将は関羽のみである」等の評価を得ていますが、一方で「自分の武に自信がありすぎて猛進したため、度々兵を失うことがあった。」ともいわれていました。

・生涯を通しての義理堅さから、その死後は「商売の神様」とし信仰されており、横浜中華街にも「関帝廟(かんていびょう)」といわれる関羽を祀る場所がございます(もちろん私は祈願済(*´▽`*))。

関羽:三国志シリーズより

私 見

乱世において、君主への忠義を重んじて生きた関羽。優れた武力と統治力をも兼ね備えた武将でとても魅力的です。晩年は、肥大化したプライドからの失敗が多く劉備との誓いを達成しないまま、この世を去ってしまうのでした。

しかし、生涯を通して「義」を貫き通した姿勢が、死後も多くの人々から高い評価を受け、今日の「商売の神様」としての信仰を集めることになったのでしょうね。

関羽の長所は、

・義理堅く、弱い者に対しても優しいこと。

・優れた武力、高い統治力をバランスよく持ち合わせていること。

短所は、

・兵士とは逆に、武将らに対しての態度は冷たく、それによって裏切りを起こされてしまったこと。

・晩年は特にプライドが高くなり、周囲との連携がしっかりとれなかったこと。

こんなところでしょうか。完璧な人はいないとはいえ、晩年の傲慢さが自分の命を散らせる要因となったことは否めません。実力の高い人は、自分に自信があることと、傲慢さをはき違えないように注意しなければならないということを教えてくれている、そんな気がしますね。

とはいえ、高い武力と義理堅さから、個人的には三国志中で一番好きな武将でもあります!好きすぎて、中学校のとある発表で関羽を選び、「上手にできたで賞」をもらった記憶があります(笑)

主観的な部分も多く入ってしまった文章でしたが、いかがだったでしょうか。

皆さんの人生に役立つことはありましたか?

この記事を読んでいただいた方に幸福が訪れますように!!







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