戦国を駆ける麒麟!明智光秀とは!?

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さて、今回は戦国でも指折りの才能をもち、また謀反成功とともに散っていった悲運の智将をご紹介いたします。その生涯を一緒に学んで、人生のヒントを見つけていきましょう!

明智光秀:信長の野望シリーズより(コーエーテクモゲームス)

「これも天下万民のため・・・信長様、覚悟されよ!」

英雄名

明智 光秀(あけち みつひで)

生 涯

日本の戦国史上、誰もが1度は聞いたことがある有名人の光秀ですが、実はいつ、どこで生まれたのか、はっきりしていない武将でもあります(生年においては3説あり、場所においては岐阜県南部に生まれたとも)。更に、父親や青年期においても明確な証拠が存在せず、謎の多い武将です。

数少ない記録を追っていくと、魔王:織田信長に仕える前の光秀は、長い浪人生活の後に越前(現在の福井県北部)の朝倉義景に仕えました。しかし、義景が暗君であると判断して出奔を考えます。そんな時にやってきたのが、足利義昭を連れた才人:細川藤孝(幽斎)でした。藤孝は、義昭を次期の征夷大将軍に就かせるべく、後ろ盾となってくれる大名を探しているところでありました。

光秀は、藤孝と意気投合して協力、誰が良いかを思案した結果、先ごろ美濃(現在の岐阜県南部)を攻略し、台頭著しい織田信長を思いつき、義昭の使者として信長の元へと向かいます。

信長が快く義昭を受け入れたことによって、光秀は義昭と信長の2人に事実上仕えることとなりました。信長は、光秀の才能を高く評価しており、光秀自身もその期待に応えるべく、主に京都で朝廷や義昭との調整役として活躍、着実に功績を重ね、1571年の延暦寺焼き討ち後、近江(現在の滋賀県)に領土を得るまでになりました。

しかし、信長の勢力拡大に伴って、信長と義昭の関係は悪化。2人の間に揺れる光秀でしたが、信長との会談時に器量の大きさを実感。天下布武を掲げて、この世の全てを手中にしようとする信長こそが、より多くの国民を幸せにできるのではないか?そう考えた光秀は、義昭に見限って信長に鞍替え。光秀という優秀な部下を失った足利家は急速に衰退し、室町幕府は滅亡することとなりました。

信長は、光秀の才能をより輝かせるため、同じ外様の家臣であるサr・・・いや、秀吉をライバル視させるように仕向け、その目論み通りに両者は競い合って勲功を立てていき、お互いが織田家にとって重要な役割を担うようになりました。

全てが順風満帆に見えましたが、光秀の信長に対する思いは次第に変わっていきます。それとも、変わったのは信長の方なのか・・・。信長の天下統一が、もはや時間の問題となったときに、松永久秀や荒木村重といった家臣が次々と反乱を起こしました。更には、ささいな失態を犯した重臣に対しての追放等、信長の態度は苛烈を極めていきました。「次は自分がターゲットになるかもしれない・・・( ゚Д゚)💦」とガクブルな織田家内部。光秀はこうした状況に疑問を感じざるを得ませんでした。

そして、決定的な出来事が起こります。毛利家攻略に手こずるライバル、秀吉の援護を命じられた光秀が、信長から出陣前に告げられたのは、この戦で光秀が攻め取った分だけ領地として良いが、今の領地である近江は召し上げるという衝撃の発言でした。これはつまり、「失敗すればお前の戻る国はないぞ」と告げらたことと同義でありました。万が一の時、自分の家臣や家臣の家族たちはどうなってしまうのか、光秀は信長に失望したとしても不思議ではありません。

そして1582年、「敵は本能寺にあり!」明智光秀は主君:信長に対して反旗を翻し、本能寺を急襲。首級こそあげられませんでしたが、信長を業火の中に葬ることに成功します。

「信長が本能寺にて死亡」この知らせは、瞬く間に全国へと広がり、秀吉は毛利攻めを中止して中国大返しを実行。山崎後にて光秀と対峙します。その戦いにおいて、要所:天王山を先に制された光秀は大敗、逃走し再起を図ろうとしましたが、途中の落ち武者狩りが原因となり命を散らすこととなりました。

本能寺の変からわずか13日後の出来事でした・・・。

エピソード

・長らく、延暦寺焼き討ちについては、反対派であったとされてきておりますが、近年の研究では、その任務を忠実に果たしていたと考えられています(感情に流されず、任務を実行したのかもしれませんが)。

・性格は保守的というよりも、合理的であり、それ故に信長に重用されたともいわれています。

・フロイス日本史の中で光秀は、「才知に富み、深慮、狡猾である」「密会を好む」「計略と謀略の達人である」等、知略に優れた部分が多く記されています。

・文化人である上、内政の手腕に優れ、家臣にも見舞いの手紙を書き、領民に愛されたという記録もあります。

明智光秀:信長の野望シリーズより(コーエーテクモゲームス)

私 見

優秀な能力と現実的な思考をもった光秀は、実際のところ信長にとって、かなり信頼のおける人物だったのではないかと文章を書いて思います。次期織田家を支える主柱として徹底的に鍛えぬいてやろうという、信長の強い意思すら感じます。ただ、次第に強力なトップダウン体制に家中が乱れ始め、無慈悲な世の中となっては天下万民が安らぎを得ることはない。そう考えた末に戦国最大の謀反「本能寺の変」を光秀は起こしたのではないかと考えます。

光秀の長所は、

・物事を合理的かつ現実的に分析することができること。

・領民や家臣に対して慈悲深いこと。

短所は、

・冷静な判断を失った結果、「3日天下」と呼ばれるほどの大敗を喫していること。

・織田家内部での家臣同士の信頼関係を上手く築いていけなかったこと。

こんなところでしょうか。「本能寺の変」を起こすまで、冷静で合理的な考え方を崩さなかった光秀ですが、その後は味方になる大名たちも予想より少なく大敗、命を散らせることとなります。しかし、私はこの武将が人間臭くて非常に好きです(ゲームで親友武将に設定してしまうほど)。もしも「本能寺の変」が成功し光秀の天下平定となったら・・・そうしたことを考えるのも面白く感じます。

さて、いかがだったでしょうか。皆さんの人生に役立つことはありましたか?

この記事を読んだ方に幸福が訪れますように!!







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