真面目で寡黙、でも優秀なリーダー!上杉景勝とは!?

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皆さん、こんにちは!こんばんは!うまぽよです🐴✨

今日もご覧いただきまして、誠にありがとうございます!

さて、本日は謙信亡き後の上杉家を引き継いだリーダーをご紹介いたします!✨

その生涯を一緒に学んで、人生のヒントを見つけていきましょう!!

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「・・・語るに及ばず。」

英雄名

上杉景勝(うえすぎ かげかつ)

生 涯(1555~1623年)

越後の龍:上杉謙信の後継者として広く知られている景勝ですが、謙信の実子ではなく養子です(実母は謙信の姉:綾御前、実父は上田長尾家当主:長尾政景)。1555年、現在の新潟県南魚沼市に生を受け最初の名前は長尾顕景(あきかげ)といいました。

1564年、実父である政景が亡くなってしまうのと同時に謙信の養子となり、1566年に初陣を飾りました。その後は、主に上杉家の軍事役として重要な役割を任せられるようになりました。

1575年、名前を長尾顕景から上杉景勝へと改名し、一門筆頭に数えられました。立場としては上杉家中でもかなり高い位置にいた景勝でしたが、彼には大きな懸念がありました。

それは1569年に上杉家と北条家の同盟の際に、景勝と同じく謙信の養子に迎えられた北条氏康の7男:景虎(北条三郎)でした。景虎は優れた容姿に高い教養と武勇を併せ持っており、謙信亡き後の上杉家を引き継ぐに相応しいとの声があがっている人物です。

「謙信公がしっかりと次期の後継者を定めてくれれば・・・」そんな思いがあった景勝でしたが、彼の懸念は最悪の形で姿を現すこととなります。

1578年、謙信は急な病に倒れ、後継者を指名しないまま亡くなってしまいました。すると、上杉家中では次期の当主をめぐって景勝派と景虎派で争いが勃発したのです。景勝には直江兼続をはじめとする謙信の側近者や旗本の大半が味方し、景虎には北条家・武田家・伊達家といった周辺勢力が味方しました。

こうした状況において景勝は、いち早く上杉家の主城:春日山城と謙信の財産、印判等を押さえて景虎と争う姿勢をみせました。景虎を取り巻く周辺勢力に一時は苦戦を強いられるものの、最終的には武田家との和睦を成立させ、北条家の勢いを削ぎ落したことで景勝が勝利し、景虎は自害。「御館の乱(おたてのらん)」と呼ばれる上杉家のお家問題は決着して、景勝の存在を全国の大名が知ることとなりました。

上杉家当主となった後は、戦国魔王:織田信長の侵攻によって窮地に立たされますが、1582年の「本能寺の変」によって信長が死去したことで危機を脱し、以降は織田家を引き継いだ豊臣秀吉と良好な関係を築いていきます。数々の戦場での功績と、景勝の実直な性格を秀吉は大変気に入り、豊臣が天下を獲った後は政治の要:五大老の一人に数えられることとなりました。また、領地が会津120万石に加増移封となりましたが、これには家康に対する抑え込みの意図があり、ここでも秀吉からの景勝に対する信頼度の高さがうかがえます。

1598年に秀吉が亡くなると、天下は石田三成率いる西軍と徳川家康率いる東軍に分かれて争う様相を呈しました。景勝は、豊臣家への恩義から西軍に味方して伊達家や最上家と争いますが、1600年「関ケ原の戦い」にて西軍が大敗したことで情勢は一気に東軍へと傾くこととなり、上杉家は徳川家に降伏することとなります。

その後、部下である兼続とともに家康に直接謝罪を申し入れたことで、上杉家の存続は許されれたものの領地は米沢30万石と大幅に縮小されることとなってしまいました。しかし、以降は領地の政治に力を入れ、徳川家との関係を良好にするよう努力しました。そして、妻や実母、部下:兼続の死を看取った後に1623年、拠点であった米沢城にて69歳の生涯を終えることとなりました。

エピソード

・景勝はあまり感情を表に出さない性格であったとされています。唯一笑ったのは、猿が自分のモノマネをしていた時だったとか・・・(何それ可愛い(^^♪)。

・景勝に率いられた将兵は良く統率されており、進軍時は人馬の歩く音しかしなかったといわれています(雑談とかしなかったんやね(*´ω`))。

・景勝は愛刀家でもあり、そのコレクションには国宝級・重要文化財級の品々があったとされています。

・景勝の威風堂々とした態度は他者を圧倒しており、あの天下御免の傾奇者でさえ悪ふざけを行わず「生涯に主君は景勝様お一人のみ」と言わしめるほどでありました。

・景勝の人柄を表す事として、たとえ敵であっても義理を通し、家臣を大切に扱い、キリスト教についても寛容であったといわれています。筋の通ったことを好む謙信の精神を引き継いでいるようにも感じます。

 

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私 見

謙信の跡を継ぐ者として、凄まじいプレッシャーを感じながらも彼からの「義」を受け継ぎ、領地や天下の安定のために尽力した景勝はとても魅力溢れる武将だと感じています。また、自分についてきてくれる部下への思いやりもあり、寡黙ながら優れたリーダーとして存在していたことが、今回調べていて良く分かりました。

景勝の長所は、

・家臣や領民に優しく、義理を通すことができること。

・多くを語らず、結果を出していること。

短所としては、

・口に出さな過ぎて、周りにダメな奴とおもわれてしまうこと。

・義理のため、柔軟な立ち位置が取りづらいこと。

こんなところでしょうか。短所の部分があるからこその上杉景勝であるともいえますがね(笑)しかし、本当に考えている人は一々すべてを口に出さずとも、周囲には伝わるもの。景勝は間違いなく、他者を感心させるオーラをまとっていたことでしょう!現代の私たちも、有言実行または無言実行の精神をもって結果を出していきたいものですね!!( *´艸`)

さて、いかがだったでしょうか。皆さんの人生に役立つことはありましたか?

この記事を読んでくれた方々に幸福が訪れますように!!

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