智と優しさの軍師!徐庶とは!?

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さて、今回は高い知力を持ちながら、心優しい軍師を紹介いたします!その生涯を一緒に学んで、人生のヒントを見つけていきましょう!

徐庶:三国志シリーズより

「知略を用いねば、損害を増やすばかりですぞ。」

英雄名

徐庶(じょしょ) 字:元直(げんちょく)

生 涯(?~234年)

徐庶の正確な生年は分かっていません。しかし、中国大陸の豫洲(よしゅう:現在の河南省許昌市付近)に生まれ、元の名前を徐福といい、貧しい家柄であったといわれています。

若いころは武芸を好み、撃剣(げっけん:投剣武術のこと)の使い手でありました。また正義感に溢れ、困っている人を見捨てることができない性格でした。

その性格によって友人の仇討ちを手伝ったとき(188~189年頃)に、人を殺めてしまい役人に捕まってしまいます。徐庶は尋問されても、車上に括り付けられて晒し者にされても絶対に口を割ることはなく、その後仲間によって救出されました(若い時から義理を通し、任侠の世界では、広く名の通った人物であったようです!)。

この一件によって徐庶は、力のみでは世の中が良くならないことに気づいて一念発起、学問に傾倒していくようになります。ひたすら謙虚に勉学に励んだ結果、周囲も驚くほどの実力をもつに至りました。

190~193年頃に大陸に戦乱の兆しが見え始めると、大陸中央の荊州(けいしゅう)に移動し、そこで後の天才軍師:諸葛亮と出会い、友好を深めます。この時、徐庶は諸葛亮の底知れぬ才能を感じていたようです。

その数年後、徐庶は人徳の英雄:劉備と会見し、彼から高い評価を受けました。徐庶はそのお返しに、天下を治めるためには優秀な軍師が必要なことを説き、同時に諸葛亮を紹介します。劉備が徐庶に諸葛亮を呼びに行かせようとすると「諸葛亮は、こちらから向かえば会ってくれますが、こちらの都合で無理矢理に連れてくることはできないでしょう」と助言、それを聞いた劉備は三顧の礼をもって諸葛亮を迎えることとなったのです。

208年、大陸の北部を制圧した覇王:曹操が荊州平定に乗り出しました。その大軍を前に荊州の有力豪族の多くは投降しましたが、徐庶は劉備に従って南部へと撤退します。しかし、曹操軍の猛攻撃によって劉備軍は壊滅。そのさなかに自身の母親が捕らえられたことを知ると劉備に対して「いま敵方に私の母が捕らえられております。心に乱れが生じては、劉備殿のお役に立てませんので、これにてお暇をいただきたく思います」と悲痛な言葉を残して曹操のもとへと去っていきました。

母親と再会した徐庶は、そのまま曹操に仕えることとなり、官僚の不正を取り締まり、帝の護衛を務める役職に任命され、その仕事を堅実にこなしていきます。当時の職階としては、決して低いものではありませんでしたが、極めて高いものでもありませんでした。これを聞いた諸葛亮は、「徐庶ほどの才能をもった者がこの程度の役職にしかついていないとは。曹操のもとには、それほど人材が多いのか」と嘆いたといいます。

母親を大事にして、地道に仕事をこなした徐庶でしたが、234年頃に病没したといわれております。

ここまでが正史のお話です(以外に地味だね!(+_+))。

<演義(小説)での活躍>

正史に比べて、演義は劉備びいきなので、徐庶の活躍も鮮やかに描かれます!

①劉備は荊州にいた時、その存在を疎まれて暗殺されそうになります。劉備は的盧(てきろ)という馬に乗って助かり、その足で人物評価で名高い司馬徽(しばき)の邸宅に行き、徐庶と初めて会います。徐庶は、劉備の馬を見るなり「この馬は主に災いをもたらす馬ですが、それを回避する方法があります。まず他の人物を乗せて、災いが発生した後に乗ればよいのです」と助言しました。劉備は「自分のために他人に災いを被せるなど、出来るはずがない!!」と激怒するのを見、「さすがです、劉備殿。あなたの中にある人徳を確かめさせて頂きました。」と述べ、徐庶は劉備にとって初めての軍師となりました。

②荊州に曹操軍が迫ってきたときのこと、敵軍を指揮するのは曹操軍の宿将:曹仁(そうじん)。兵士の数で劣る劉備軍は頭を悩ませます。そこで徐庶は知略を用いてこれを迎え撃ち、初戦で曹操軍の先鋒2将を討ち取り、2戦目では曹操軍の「八門金鎖の陣(いかにも強そうな名前でしょう??(*’▽’))」という高度な陣形を撃ち破り勝利を収めました。この戦によって、劉備は軍師の重要性を知ることとなりました。

③少数である劉備軍に連続して負けた曹操は、「劉備にこれほどの戦が出来るはずがない。優れた者が側にいて、助言しているに違いない」と確信し、部下に調べさせます。その結果、その人物が徐庶だと分かると、徐庶の母親を城に呼び出して軟禁し、更にその筆跡をマネて偽手紙を作ると徐庶へ送りました。

母親思いの徐庶は、偽手紙だと知りつつも事情を話して劉備軍を去り曹操のもとへ出頭しました。母親はその事情を知るや、息子の劉備への不忠を嘆くと自害してしまします(なんと!?(‘Д’))。大切な人を失った徐庶は、そのまま曹操に仕えますが、献策は一切しないと心に決め、劉備・孫権連合軍VS曹操軍の「赤壁の戦い」でも、敵の軍師:龐統の連環の計を分かっていながら見逃したことで、曹操軍は大敗してしまうのです。

エピソード

・諸葛亮は徐庶のことを「官職にある者は、広く聴衆の意見を集めて良き施策を考えるものだ。徐庶はこれがしっかりできており、彼の行動の1割でも実行できれば、私も過失を少なくすることができるだろう」と、その才能を高く評価していました。

・色々な名前をもっている人物で、晩年になって名前を「徐福」から「徐庶」へと変更しています。また、三国志演義で初登場のときは「単福」という偽名を使用しています(・・・文章を書く方は使い分けが大変!!)。

・ゲーム等では、攻守とも高い能力を持つことが多く、頼りになる存在です。

徐庶:三国志シリーズより

私 見

若いときは剣を磨き、その後に知を磨いた徐庶は、文武両道のバランス型軍師であったと感じています。また、正史と演義で活躍の場に差があるところは、調べていて面白かったです(この人も差があるよねw)。劉備のもとにずっといてくれたら、歴史も違っていたのかなと考えさせられる武将です。

徐庶の長所は、

・武力と知略を真摯に学び、自分のものにしていること。

・自身の親を大切にしていること。

短所は、

・正史には、際立った活躍がないこと。

・親思いなのはいいが、本当に仕えたい人の敵側に行ってしまったこと。

こんなところでしょうか。親を大切にして、自己研鑽に励む姿は、現代の私たちにとっても参考になるように感じます。ゲームでは、徐庶が劉備のもとに留まり、天下を平定するものもあったりします(これがまた胸熱!!( *´艸`))。

さて、いかがだったでしょうか。皆さんの人生に役立つことはありましたか?







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