織田家、鬼の宿老!柴田勝家とは!?

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さて、今回は織田家を生涯支え続けた猛将をご紹介いたします!その生涯を一緒に学んで、人生のヒントを見つけていきましょう!

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「鬼柴田推参!命惜しくなくばかかって参れ!」

英雄名

柴田勝家(しばた かついえ)

生 涯(???~1583年)

織田家の重鎮として知られている柴田勝家ですが、その出自は意外にも明らかではありません。通説としては、尾張(現在の愛知県西部)の土豪の出身といわれてるようです。

大河ドラマ等では最初から戦国魔王:織田信長の側に仕えているイメージの勝家ですが、当初は信長の弟である信行の側におり、信長の父:信秀死後に起こった織田家の後継者争いでは信長を倒そうとしたこともあった武将です。結果として信行陣営は信長に敗北したわけですが、勝家は主君である信行とともに助命されました。

これを機に勝家は信長の素質を見直すようになったものの、信行はその後も執拗に信長を排除しようとしていたため、勝家は何度も諫言することになりました。口うるさい勝家を信行は次第に疎んじるようになり、新年において重臣達に振る舞う正月料理を勝家にだけ出さないという嫌がらせを行いました。

武士の誇りを何よりも重要視する勝家は、この仕打ちに激怒して信行を見限り、その行状を信長に報告。信行は信長の手によって討ち果たされたのでした。

信長に仕えることになった勝家は、将軍:足利義昭を擁した上洛作戦の頃からとくに重用されるようになり、以後は戦の先鋒役として活躍しました。また広く行政にも携わる等、軍事だけではない才能も発揮していきます。

1570年の朝倉・浅井連合軍との戦いや翌年の一向一揆鎮圧、武田家との大勝負「長篠の戦い」といった主だった戦いに参加した後、越前(現在の福井県北部)を与えられて北陸攻略軍の司令官となり、加賀(現在の石川県南部)平定の任を任せられました。

その最中、加賀に侵攻してきた軍神:上杉謙信に敗れるという一幕もありましたが、謙信が病没したために上杉家撃退に成功します。さらに一揆も平定したことで能登(現在の石川県北部)や越中(現在の富山県と新潟県西部)にまで手中にしました。

気性の激しい信長にゆるぎない忠誠心をもって尽くし、順調に功績を重ねていった勝家でしたが、ここであの事件が起きます。1582(いちごパンツ)年「本能寺の変」です。

天下に最も近いといわれていた信長が麒麟児:明智光秀に討たれたとの知らせが勝家のもとに来た時、ちょうど上杉軍と対峙していた勝家は素早い行動が取れず、仇討ちの功をすべて豊臣秀吉に奪われることとなってしまいました。

その後、信長の後継者等を決める会議「清須会議」が行われ、織田家の実力者たちで話し合いが行われたものの、やはり秀吉の発言力が大きく、勝家にとって満足のいく結論ではありませんでした。

こうした燻りがあったのち、信長の葬儀が秀吉主体で行われたこと、今日の奉行職に秀吉の一党が据えられたこと、信長の後継者に幼少である三法師(信長の孫)が決定したこと等により、秀吉が織田家を蔑ろにして天下を狙っていると勝家は考え、信長の三男:織田信勝を担いで秀吉と戦うことになりました。

対立が決定的となった両社は互いに調略合戦を行い、勝家は紀伊(現在の和歌山県と三重県南部)の雑賀衆や四国の姫若子:長曾我部元親を味方に引き込むことに成功しました。

しかし、勝家は大切なことを見落としていました。勝家の本拠地は冬になると豪雪地域となり軍を動かすことが出来なくなります。秋ごろから秀吉と対立してしまったために、一時的に秀吉と休戦せざるを得ません。その機会を秀吉が見逃すわけもなく、休戦期間中に当初の同盟勢力が次々と秀吉側に攻略されてしまいました。これ以上の状況悪化を防ぐため、勝家はまだ雪の残る中で進軍し「賤ヶ岳の戦い」にて決戦を挑みますが、味方の統制が取れないことに加えて敵軍の強襲に耐え切れず敗北。更に子飼いの武将であった前田利家が秀吉側についたことで完全に敗北し、北ノ床城にて自刃することになりました。

この後、諸大名は秀吉に臣従していくこととなり、天下は平定の兆しを徐々に見せ始めるのでした。

エピソード

・信長の死後、勝家は信長の妹で天下一の美女といわれるお市を妻に迎えています。賤ヶ岳の戦いに敗れた際には、3人の娘を逃がして、妻とともに切腹しました。

・ルイス・フロイスは勝家のことを「軍事に優れた人」「宗教については、肯定的でも否定的でもない人」と評しています。また、最終合戦の前に自軍から抜ける者を許す等温情ある人物であったといわれています。

・戦場での凄まじい活躍から「鬼柴田」「かかれ柴田」という異名をとっていました。

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私 見

勝家の生涯を調べていて思ったのは、武士という「生き様」にこだわった人だったのではないかなということです。武士の誇りや意地、自負・・・それを自分の背中で語るような男であったのではないかと。しかし、時代は調略渦巻く戦国時代、状況は刻々と変化していきます。その激しい変化に対応できる秀吉とできなかった勝家・・・そこが二人の命運を分けたのではないでしょうか。

勝家の長所は、

・誇り高く温情溢れる人柄で、忠誠心も高いこと。

・軍事面だけでなく、行政面においても努力していること。

短所は、

・プライドや自負が高いために、時代に対応しづらいこと。

・誇りを傷つけられると、視野が狭くなること。

こんなところでしょうか。現代においてもテクノロジーや物事の常識においける変化が激しく、それに合わせて私たちも柔軟な対応が求められています。従来の価値観から必要な部分は残しつつ、激しい時代の波を乗りこなせるように努力していきたいものですね!

さて、いかがだったでしょうか。皆さんの人生に役立つことはありましたか?

この記事を読んだ方々に幸福が訪れますように!!

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