農民から天下人へ!豊臣秀吉とは!?

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さて、今回は戦国一の人たらしにして、大出世の象徴と評される天下人をご紹介いたします!その生涯を一緒に学んで、人生のヒントを見つけていきましょう!

ちなみに、この記事が100記事目となります!日頃のご愛読に心から感謝するとともに、今後もよろしくお願いいたします!!

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「さぁて、天下統一への総仕上げじゃあ!!」

英雄名

豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)

年 表

まずは、年表で確認してみましょう!

1537年 尾張中村(現在の愛知県)に生まれる。

1554年 織田家へ仕官する。

1568年 織田信長の上洛に同行する。

1570年 姉川の戦いを経て、横山城主となる。

1573年 近江(現在の滋賀県)長浜城主となり、姓を「羽柴」とする。

1577年 中国地方攻略の任に就く。

1578年~80年 三木城の別所長治を攻め滅ぼす。

1582年 本能寺の変が発生。
     山崎にて明智光秀に勝利。清須会議で三法師を推薦。

1583年 賤ヶ岳にて柴田勝家を破る。大阪城築城に着手。

1584年 小牧・長久手にて徳川家康と戦う。

1585年 関白となり、姓を「豊臣」とする。四国攻めに勝利。

1587年 九州攻めに勝利。

1590年 小田原攻めにて北条家に勝利。

1591年 弟:秀長が亡くなり、関白を養子:秀次に譲る。

1592年 朝鮮へ出兵(文禄の役)。

1593年 秀頼が誕生する。

1595年 秀次を自害に追い込む。

1597年 朝鮮へ出兵(慶長の役)。

1598年 醍醐にて花見を行う。伏見城にて死去。

生 涯

秀吉は、本名を木下藤吉郎といい、1536年に尾張(現在の愛知県)の木下家に生を受けました。貧しい農民の子であったというのが通説となっていますが、実は裕福な農民の子であったとか、信長の父:信秀の足軽であったとか、意外にも生まれがはっきりしていません。ただ、信長や家康のように領主の家に生まれたのではないことは確かであります。

秀吉は、若いときから人当たりが良く、様々な人物とつながりを作ることが得意な人物であり、その中には後に家臣となる人物も多く含まれていたといわれています。

今川家や徳川家の家臣として経験を積んだ後に、魔王:織田信長に仕えることになった秀吉は、持ち前の機転の良さと難しい仕事を積極的に引き受けることで、頭角を現していきました。

美濃(現在の岐阜県)の斎藤家との戦いにおいては、相手の目の前に一夜にして城を立てて、敵軍を動揺させて本拠地攻略に大きく貢献。また、浅井家の裏切りによって信長が窮地に追い込まれたときには、殿(しんがり:主の撤退のために時間を稼ぐ役目)を引き受けて、信長の生還に正に命を懸けて貢献。信長がリベンジして浅井家を滅ぼした際には、その領地を与えられ、城主となりました。

このように輝かしい功績を打ち立てた秀吉でしたが、本人は槍を振り回して大活躍するような豪傑ではありませんでした。そのために秀吉が大事にしたのは、優れた人材です。今孔明:竹中半兵衛、忠臣:蜂須賀小六をはじめ、妻は賢妻として名高いねね。こうした人々を大切に扱い、適材適所に割り振ることによって、戦国一の成果を挙げ続けていきました。加えて、戦場では武力衝突よりも調略を重視する傾向にあり、最小限のコストで最大の効果をもたらす戦法を考えて実行していくことで手腕の高さを内外に示していくのでした。

しかし、ここで秀吉を震えさせる出来事が起こります。

1582年、毛利攻めを織田家有利に進めていた秀吉のもとに伝令が走りこんできます。「信長様、本能寺にて戦死!謀反人は、明智光秀!」魔王:信長の死を知った秀吉は、すぐに敵軍との和平を結ぶと、とんでもない速さで京都まで引き返して「山崎の戦い」にて主君の仇敵:明智光秀と対峙、これを撃破しました。更に、織田家の後継者争い(清須会議)で信長直系の孫:三法師を推薦して優位にたちました(ここまでの即断と後継者への手回し・・・凄すぎぃ!)。

信長の後継者を巡って戦の空気が濃厚になると、信長の旧臣である柴田勝家や徳川家康と争うこととなりました。勝家との戦いでは、北国を領地とする勝家が冬に軍勢を動かせない弱点を突いて同盟勢力を打ち倒し、「賤ヶ岳の戦い」で勝家と直接対決して勝利を手にしました。

家康との戦いでは「小牧・長久手の戦い」にて苦渋を舐めさせられたものの、政治力と人脈を活用しまくって、家康側の大義名分を消滅させて事態を収束させつつ、家康に膝を折らせることに成功します。

こうして自身の立場を不動のものにした秀吉は、四国で長曾我部家、九州で島津家等を屈服させ、「小田原征伐」において関東の名家:北条家を攻略し、ついに天下統一を成し遂げました。

天下統一後の秀吉は、信長の「楽市楽座」を継承して商業の活性化を図るとともに、「太閤検地」を行って税収の基準を定め、「刀狩り」によって兵農を分離させる等、幕藩体制の基礎を構築していきました。

しかし、秀吉が京の都を改造するために、強引な区画整備や度重なる土木工事を推し進めたことで、民衆からは不満の声があがり、大名家にも2度に渡る「朝鮮出兵」等を通して負担をかけるようになってしまいました。

また、人を大切に扱ってきた性格は影を潜め、冷酷な面が目立つようになってきたようで、養子:秀次に自害を命じたり、実子:秀頼を異常なまでに愛する等、旧臣からみても「殿は変わってしまわれた」と嘆きの声があがったといわれています。

1598年、戦国の出世頭は、愛する子:秀頼を心配しながら病没してしまうのでした。

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豊臣家とは

秀吉は織田家に仕官後、足軽として出世を重ね、1573年に長浜城主、1585年には関白にまで上り詰めました。天皇に新たな姓を賜るよう願い出て、与えられた姓が「豊臣」でございました。

ただ、本人の出世とは反対に、秀吉は実子に恵まれず、後継者となる男子がいませんでした。一族を見渡しても、弟:秀長、姉の子:秀次、秀勝、秀保と数えられるほどです。

1589年に側室の淀殿に鶴松が生まれますが、すぐに亡くなってしまいます。はじめ、秀吉は養子:秀次に関白を譲り、跡継ぎとしました。

しかし、1593年に淀殿が二人目の男子:秀頼を産んだことで、事態は一変。1595年に秀次は自害へと追い込まれてしまい、結果、豊臣の後継者は幼い秀頼のみとなりました。

秀吉死後の1600年、関ケ原の戦いに敗れた豊臣方(西軍)は天下を徳川家康に事実上渡すこととなり、更に1615年の大阪夏の陣にて秀頼とその息子が亡くなったことで、豊臣家は滅亡してしまいました。

エピソード

・人の心を掴むことに長けていたことから、「人たらし」の異名をもっています。

・度量の大きさもあり、他家の大名と2人きりになった状況でさえ、秀吉の度量に飲まれて何もできませんでした。また、秀吉が可愛がっていた鶴を世話役が誤って逃がしてしまった時、正直に報告した世話役に対して「天下全てがわしの庭、その中から出なければよい」といって許したといわれています。

・秀吉のあだ名として広く知られている「猿」については、他家の武将や諸外国の死者等の記録に、猿のような○○(体の部位が入る)をしている、といったものがあることから付けられたともいわれています。
 信長が妻:ねねに宛てて書いた手紙では「あの禿鼠」という表現で書かれていましたが、日常からそう呼ばれていたのかは不明であります。

・秀吉は、手の指が6本あったともいわれています。

・「賤ヶ岳の戦い」において、暑さに苦しむ兵士たちのために農家から大量に笠を買い込んで、敵味方区別なく配ったとされています。

・母親のことはとても大事に思っており、忙しい中でも体調を気づかう手紙を出したり、その臨終に間に合わなかったことにショックのあまり倒れて、しばらく喋れない状態になったとされています。

・秀吉は人々からの評判があがる茶会や軍装を好んで行った一方で、自分を非難することを許さず、場合によってはそれによって人を殺すことも厭わない狭量な部分もあったといわれています。

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私 見

現代でも出世の象徴として知られている秀吉。晩年までは、自分の能力をフルに活用して人材を大切に扱い、人間的魅力に溢れていたことでしょう。その人としての輝きに多くの武将たちが共感し、敬服したことで主君である信長さえも成しえなかった天下統一を果たすことができたのだろうと考えます。

秀吉の長所は、

・多くの人々を味方に引き入れる人間的魅力をもっていること。

・決断が早く、人材を適材適所に振り分けることができること。

短所は、

・晩年は、狭量な部分が目立ち、多くの者に負担を与えたこと。

・存命中に、豊臣政権の長期体制を整備しきれなかったこと。

こんなところでしょうか。よく金や権力は人を狂わせるといいますが、秀吉もその中に入ってしまったということなのでしょうか。人としての魅力が高い人物だっただけに、変貌ぶりには多くの武将たちが困惑したと思います。現代においても、強大な権力を持ちながら人格者である方というのは、あまり聞かない話です。常に自分を見つめなおして、協力してくれている人を大切に扱い、自身の大望成就のために邁進する、そういう人間でいたいものですね!最後に・・・秀吉さん、いつもネタにしてすいません( ;∀;)

さて、いかがだったでしょうか。人生に役立つことはありましたか?

この記事を読んだ方に幸福が訪れますように!!







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