突き抜ける忠義と武勇!本多忠勝とは!?

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さて、今回は徳川家に仕えた忠義溢れる猛将をご紹介いたします!その生涯を一緒に学んで、人生のヒントを見つけていきましょう!!

本多忠勝:信長の野望シリーズより

「我が忠と武。すべて殿のために。」

英雄名

本多忠勝(ほんだ ただかつ)

生 涯

忠勝は三河(現在の愛知県東部)で、のちに徳川家となる松平家の譜代家臣:本多忠高の嫡男として生を受けました。本多氏は、ただでさえ猛者ぞろいの徳川家中でも特に武勇に優れる家系でありました。忠勝も幼いころから熱心に槍や兵法を学んで、5歳年上である徳川家康に仕えました。13歳(若っ( ゚Д゚)!?)で初陣を飾ると同時に元服を果たし、それ以降も数々の戦場にて戦功を積み上げ、19歳の頃には早くも旗本部隊の将として抜擢されました。若くして軍の中枢を担うことになった忠勝は、同年代の榊原康政(さかきばら やすまさ)とともに、家康に欠かすことのできない存在になったのであります。

加えて、忠勝は戦い方も凄まじいものでありました。家康が経験した名だたる戦場において、忠勝は先鋒や殿(しんがり)という重要な役割を担うことが多かったわけですが、少数の兵を引き連れて、もしくは単騎で敵陣に突っ込むと勇猛果敢に奮戦しました(た、単騎で( ゚Д゚)!?)。

1570年、徳川・織田連合軍 VS 浅井・朝倉連合軍と戦った「姉川の戦い」では、なんと朝倉軍1万に向かって単騎で突撃、敵将と一騎討ちをしています。当初は押されていた徳川軍でしたが、忠勝を死なせまいとして全軍が奮い立ち、大軍を打ち破ることに成功しました。単騎で大軍を相手にしても一歩も引かないその姿は、三国志の猛将:張飛(ちょうひ)にたとえられて称賛されました(ハルヒキターーーーーー(*’▽’))。

さらに1574年、徳川軍と武田軍が一言坂にて衝突した際には、不利な地形において殿(しんがり)をつとめると、見事に家康が撤退する時間と逃げ道を確保したのでした。

こうした忠勝の武勇は、敵味方両方から一目置かれることとなります。武田信玄の武将からは「家康にはもったいない」、豊臣秀吉からも「東国一の勇士」と高く評価されました。いずれも家康をあと1歩まで追い詰めながら、忠勝の圧倒的な武勇を目の当たりにして家康を逃がしたときの言葉でした。

規格外の武勇を誇る忠勝は、天下取りを目指す家康にとって真に絶対の切り札であり、忠勝もその槍でもって徳川家の未来を切り開いていったのです。忠勝が忠義に篤い武将であったことは家康にとっては幸運であり、忠勝がもしいなかったとすれば、徳川の歴史は今とは大きく変わっていたことでしょう(三国志で最強といわれる武将の忠誠心は・・・言わずもがな)。

1590年のこと、徳川家は豊臣傘下に入っていたとき、秀吉は忠勝を自分の家臣として召し抱えようとしますが、これを忠勝はきっぱりと拒否します。天下人としての地位を固めた者からの誘いさえも忠勝には響かず、生涯家康の家臣であることを望んだのです。

忠勝の生涯において忠義を貫き通すことは何よりも大切なことであり、姑息な裏切りなどは言語道断!というポリシーがありました。秀吉の没後、ついに「関ケ原の戦い」まで槍を振るい続けた忠勝は、家康を天下人に押し上げることに成功しました。まさに、徳川家の悲願が達成されたわけです!

しかし、徳川幕府創立後の忠勝は、決して恵まれた環境にはありませんでした。それまでの功績を考えれば幕府の中枢に置かれても不思議はなかったわけですが、新時代が求めるものは高い政治力であり、泰平の世にあってその鋭い槍で貫くべき敵は存在しなかったのです。

自身の武力が不要となったことを悟った忠勝は62歳で息子に家督を譲って引退。その翌年、戦場とは正反対の静寂の中63歳にてその生涯を閉じました。その死の数日前、彫り物をしていた忠勝は、うっかり小刀で指を切りつけてしまいます。その生涯において57回も戦場に立ち、1度も傷を負わなかった忠勝に唯一の傷。それは忠勝の命運が尽きたことを表していたのかもしれません。

エピソード

・鹿の角をあしらった兜を被り、穂先に泊まったトンボが真っ二つになったいう天下の名槍「蜻蛉切(とんぼきり)」を振るったと伝わります。

・「関ケ原の戦い」では、大名たちに手紙を送って、味方になるよう働きかけた等、決して武勇のみの武将ではありませんでした。

・長篠の戦いにおいて、逃げる武田軍の旗を持ち「軍旗を捨てるとは何事だ!」と嘲り、また戦後には「武田の惜しい武将たちをなくした。これ以降の戦場で血が騒ぐことはないだろう」と語ったといわれています。

・ゲームでも、めちゃくちゃ強いキャラクターとして登場しています(三国志の呂布と同等の扱い、若しくはガン〇ムのようになってる)。

本多忠勝:信長の野望シリーズより

私 見

忠義と武勇に優れ、敵味方問わず称賛された忠勝の生き様は、戦国武将の鑑でありましょう!家康の絶大なる信頼とそれに応えんとする忠勝の奮闘は、謀略渦巻く戦国時代において、天に差す光の如く輝いていますよね!

忠勝の長所は、

・戦国屈指の忠節と武勇を併せ持っていること。

・人生において揺るがないポリシーをもっていること。

短所は、

・政治力が他者と比べてそこまで高くないこと。

・嫌いな人間には、敵意を示すこと。

こんなかんじでしょうか。良くも悪くも一本気な性格であることが、忠勝が人間味溢れる人物であることを物語っているように思います。私も人生において、これだといえるポリシーをもって生きていきたいものです。

さて、いかがだったでしょうか。人生に役立つことはありましたか?

この記事を読んでいただいた方に幸福が訪れますように!!







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