敵が震える「赤備え」!山県昌景とは!?

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さて、今回は戦場を真紅の騎馬軍団を率いて駆け抜けた闘将をご紹介いたします!その生涯を一緒に学んで、人生のヒントを発見していきましょう!

山県昌景:信長の野望シリーズより

「我が最強の赤備え、戦の神もご照覧あれ!」

英雄名

山県昌景(やまがた まさかげ)

生 涯

1529年に生まれた山県昌景は、旧名を飯富(おぶ)源四郎といい、甲斐(山梨県)の武田家に仕えました。飯富家は、武田家に代々仕える家臣の中でも特に重用された名家でございました。

昌景には「甲山の猛虎」の異名を持つ兄:虎昌がおりました。異名に違わぬ猛将で武田家の宿老を務め、武田信玄の嫡男:義信の教育係にも任命された優れた人物です。更に、虎昌の軍団は全員が真紅の甲冑を着ていたことから「赤備え」と呼ばれ、他国を震え上がらせるほどの精鋭部隊でありました。こうした兄をもつ昌景は、いわば武田家臣団のエリートとして、武芸や兵法、忠臣たる心構えまで徹底的に教え込まれて育ちました。

昌景自身も才能あふれる人物で、武芸や知識を柔軟に吸収していきました。初陣は25歳の頃でしたが、その城攻めで一番乗りを果たすと、そこからはドンドン功績を積み上げていきます。武田家と上杉家の有名な戦「川中島の戦い」にも参戦し、上杉家の勇将:鬼小島弥太郎と激しい一騎打ちを繰り広げたこともありました。

その高い実力と忠誠心は広く認められることとなり、300騎を率いる大将へと昇格し、内政面でも最高責任者に任命された昌景は、敬愛する兄:虎昌に勝るとも劣らない名将として存在感を大きくしていきました。

不断の努力が認められ、武田家からの飯富家一族に対する信頼も厚いという最高の時を迎えていた1565年、大事件が発生してしまいます。かねてから家中では信玄と嫡男:義信の確執が心配されていましたが、ついにそれが表面化。義信が信玄の暗殺を画策、しかも首謀者は昌景の兄:虎昌だというのです。

このとき昌景はどうしたか。兄に謀反の疑いありと、信玄にありのままを訴えたのです。兄への愛情よりも、主家への忠義を貫いたのです。結果、信玄へのクーデターは未遂に終わり、義信は幽閉。兄:虎昌は責任を取らされて自害しました。

敬愛する兄:虎昌の疑いを告発するとき、昌景の心痛は計り知れないほどだったでしょう。なぜならば、兄が自害に追い込まれるのはもちろん、今までの飯富家の功績は失墜して、昌景自身も家中に面目が立たなくなる可能性を含んでいたからです。しかし、信玄は昌景のゆるぎない忠義心と行動に感服、飯富姓から山県姓へ改名させると家老に任命しました。ここに山県昌景が誕生し、信玄とのより強い絆が確立されたのでした。

以降も昌景は軍事・内政両面に手腕を発揮しましたが、特に軍事面は益々冴えわたりました。兄:虎昌が残した精鋭部隊「赤備え」を継承し、戦に出れば連戦連勝。徳川家康や織田信長をはじめとする全国の群雄をも恐れさせるほどの活躍をしていったのです。

1573年、自分を信頼し、甲斐の虎とも評される当主:武田信玄が死去。信玄の四男:勝頼がその跡を継ぐこととなりました。信玄はその死の間際に、最も信頼を置いていた昌景を呼び出すと、武田家と勝頼の未来を託しました。昌景はその期待に応えるために奮闘しますが勝頼との間に、信玄のときと同様の信頼関係を築き上げることはできませんでした。偉大な父:信玄の跡を継いだ勝頼は功を焦ることが多く、昌景をはじめとする宿将たちの助言は聞き入れられるどころか疎まれていくようになってしまったのでした。

こうした中で、勝頼は家臣らの忠言を無視して、織田信長との決戦を強行します。戦が開始されると、織田軍の鉄砲隊の前に、かつて戦国最強を誇った武田軍は劣勢を強いられます。味方がバタバタと倒れていく中、

「武田が意地、とくと御覧じろ!!」

昌景はそう叫ぶと、信玄に託された武田家を守るため、そして自身の生き様を示すため、織田軍に決死の突撃を開始しました。銃弾が腕に食い込み、刀を取れなくなっても采配を口に咥えて指揮をとりましたが、ついに壮絶な戦死を遂げたのでした。

この戦いで、昌景や多くの重臣を失った武田家はその後、衰退の一途をたどることとなります。

エピソード

・昌景は武勇に優れていましたが身長は低く、細身であったといわれています。

・昌景は優秀な家臣の証である武田四天王、武田二十四将に選ばれており、その能力の高さがうかがえます。

・川中島の戦いで、上記にもある上杉軍:鬼小島弥太郎と一騎打ちの際、信玄の嫡男:義信が苦戦しているのを発見。相手に対して「我が当主の御曹司が苦戦の模様。助力にあがりたいので、勝負を預けてくれまいか!」と提案しました。弥太郎はこれを快諾、その後昌景は弥太郎を「実も花もある勇将」と讃えたと伝わります。

・織田軍の長篠の戦いにて討ち取った者リストの先頭には、昌景の名前があります。そのことから、いかに昌景が他国から恐れられていたのかがわかりますね。

・昌景の「赤備え」は規格外の強さを誇り、最強軍団の証として語られることとなります。昌景の死後も、井伊直政や真田幸村が「赤備え」を採用しています。

・昌景の軍団の強さの秘密について「訓練はもちろんですが、一番は戦場に出る時の心構えです。いつも初陣のように慎重に策を立て、勝てると思っても慢心しないことです」と答えたといわれています。

山県昌景:信長の野望シリーズより

私 見

文武に優れ、忠義にあふれる昌景の生涯は、自身の軍団「赤備え」と同様に強烈なインパクトがあります。その生涯を終える一瞬まで、主家に対する忠義を貫いた姿に、憧れに近い感情をもちます。

昌景の長所は、

・自身の優れた能力に慢心せず初心に戻り、鍛練を続けていること。

・主家のために尽力し続けること。

短所は、

・生き延びることよりも、壮絶に散る最期を選んでしまったこと。

・当主の後継者に合わせた対応ができなかったこと。

こんなところでしょうか。現代でも自分の能力に慢心しないで、努力をし続けることは重要であります。自分を常に高め続けていくのは、面白いと思いますしね。ただ、この時代では仕方のないことかもしれませんが、自ら死にに行くのは違うような気がします。与えられた天寿を全うしてこそ、人生といえるのではないでしょうか。

さて、いかがだったでしょう。皆さんの人生に役立つことはありましたか?

この記事を読んでいただいた方に幸福が訪れますように!







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