武の双璧!顔良と文醜とは!?

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皆さん、こんにちは!こんばんは!うまぽよです!

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さて、今回は名族を支えた2人の猛将を同時に紹介いたします!その生涯を一緒に学んで、人生のヒントを見つけていきましょう!

顔良:三国志シリーズより

「行くぞ文醜!遅れをとるなよ!!」

 

文醜:三国志シリーズより

「任せろ顔良!我らの前に敵はないわ!!」

英雄名

上:顔良(がんりょう) 

下:文醜(ぶんしゅう)

生 涯

<顔良>

曹操と大陸の覇を競った名族:袁紹の配下である顔良。199年頃には、文醜と共に袁紹軍の武の双璧として広く知られるようになり、曹操配下からも、袁紹軍の猛将筆頭として名前を挙げられているほどでした。

200年、官渡という地において、袁紹・曹操が雌雄を決する戦いを行いました。その開戦に際し、袁紹軍の参謀から「顔良は視野がとても狭く、単独で出撃させては危険です」との進言が出ると、袁紹はそれを聞き入れ、顔良に武将3人をつけてから、曹操軍の拠点を攻めさせました。

これに対して、曹操軍は参謀:荀攸(じゅんゆう)の進言により、袁紹軍の背後を突くと見せかけて陣形を乱す陽動を仕掛け、猪突してくる顔良を孤立させる作戦に出ました。この作戦は見事に成功し、背後の敵襲に気付いた顔良以外の武将らが反応して引き返す中、顔良だけは弱点である視野の狭さから、少ない兵力で戦場に孤立してしまいました。手薄となった顔良隊に対し、曹操は配下の張遼(ちょうりょう)と当時客将となっていた関羽を派遣、直ちに攻撃させました。関羽は顔良を見つけると、単騎で突撃を開始、顔良は対応できず打ち取られてしまうのでした。

三国志演義では、武力に優れる猛将として、官渡の戦いで曹操軍の武将2人を討ち取り、勇将:徐晃(じょこう)をも撃退する活躍をみせます。

更に、顔良は当時袁紹軍の客将だった劉備から、「曹操軍には義弟:関羽がいると聞いております。背が高く、偃月刀をもった風貌なのですぐにわかるでしょう。もし出会ったなら、すぐに私の下に来るように伝えてください。」と頼まれていました。

さて、戦場で関羽を見つけた顔良。「お前が関羽か。伝言が・・・」と関羽に投げかけます。しかし、戦場でアドレナリンMAXの関羽、「戦場で無駄口をたたくとは愚かな。覚悟せい!」と顔良を一閃、やはり討ち取られてしまう最期を迎えてしまうのでした。

顔良:三国志シリーズより

 

<文醜>

袁紹軍の武力の要として、顔良と並ぶほどの腕を持ち、将軍の代表格として名が挙がっている文醜。

200年、曹操と袁紹が官渡の地にて激突、初戦にて顔良が曹操軍の作戦にハマり、討ち取られてしまいました。袁紹はこれに激怒。文醜に対し、当時客将だった劉備を連れて、曹操を攻撃する任務を与えました。

これに対して曹操は、またも参謀:荀攸の進言を採用、物資の輸送隊をおとりにして文醜を誘い出す作戦を開始します。この作戦も見事に成功、文醜はこれに引っ掛かって輸送隊を襲撃したために、陣形が乱れました。覇王:曹操がこの機会を逃すはずはありません。手薄になった文醜隊に攻撃を仕掛け、文醜は混乱の中で戦死してしまうのでした。顔良・文醜と名だたる将軍2人を連続して失った袁紹軍には、大きな動揺が広がった伝わります。

三国志演義でも、武に秀でる猛将として登場。北の白馬将軍:公孫瓚(こうそんさん)との戦いでもその武力を存分に発揮、後一歩で総大将を生け捕るところまで追い詰めますが、イケメン勇者:趙雲に阻まれ取り逃がしています。

曹操軍との戦いで顔良が関羽によって討ち取られると、それに激怒。仇を討つために劉備と共に出陣しますが、史実と同じく輸送隊の罠にかかり敗走します。しかし、追撃してきた張遼を弓で撃退、さらに徐晃も退ける活躍をみせます(ジョコタンがぁ~(ノД`)・゜・。)。しかしながら、関羽と戦うと押し負けてしまい逃亡を図ろうとしますが、背後から追いついてきた関羽に討ち取られてしまう最期を迎えてしまいます。

文醜:三国志シリーズより

エピソード

・曹操軍の参謀であり預言者:荀彧(じゅんいく)は「どれだけの武勇を誇ろうと、顔良と文醜は互いに思慮分別を持ち合わせておりません」と評価しており、まさにその通りとなったのです。・・・この預言者マジすげえな。

・三国志演義では、顔良と文醜は兄弟同然の親友であり、義兄弟の契りを結んだという設定になっています。

私 見

袁紹軍の最盛期を支えた2人の猛将で正史、演義ともに高い武力と統率力を持っていたと思います。しかしながら、両者ともに大局を判断する能力は曹操軍と渡り合うためには到底及ばず、どちらも戦死してしまう最期を迎えることになってしまいました。

顔良・文醜の長所は、

・曹操軍の誇る勇将たちを退けるほどの武力を誇ること。

・両者とも自身の腕に絶対の自信をもっていたこと。

短所は、

・指揮官として戦の大局を見ることができないこと。

・過信と思慮不足により、身を滅ぼしていること。

こんなところでしょうか。いささか思慮に欠ける部分が目立ちますが、演義でいえば、一騎打ちに関する勝率は両者とも7割以上と趙雲に次ぐくらいの腕をもっていたことになります。もっと冷静さを持ち、参謀役との連携がかみ合わえば、大陸でも屈指の武将として更に名を馳せることができたでしょうね。

いかがだったでしょうか。皆さんの人生に役立つことはありましたか?

この記事を読んでいただいた方に幸福が訪れますように!!







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