名参謀?それとも簒奪者?鍋島直茂とは!?

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さて、今回は九州の雄:龍造寺家に仕えた智将をご紹介いたします!その生涯を一緒に学んで、人生のヒントを見つけていきましょう!

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「天下は、統べるべき者に統べられるだけよ」

英雄名

鍋島直茂(なべしま なおしげ)

生 涯(1538~1618年)

深謀遠慮の謀将として知られている鍋島直茂は、肥前(現在の長崎県と佐賀県)を治めていた龍造寺家傘下の豪族のもとに生を受けました。鍋島家は直茂の父や祖父の代から主家である龍造寺家に重用されており、直茂も鍋島家の跡取りとして期待がかかっていましたが・・・。その才覚は若いときから認められる素晴らしいものでありました(やったね、直茂ちゃん(^^♪)!特に当主である龍造寺隆信とその母:慶誾尼(けいぎんに)に気に入られており、後者は後に直茂の父と再婚したことで義母に、前者はそのことによって義兄弟となりました。直茂自身も周囲からの信頼に応えるべく奮闘を重ねました。

肥前の宿敵である少弐(しょうに)家を滅ぼした後、龍造寺家は隣国のキリシタン大名:大友宗麟と対峙することとなりました。1569年に城を包囲されると直茂は隆信に籠城を進言する一方で、中国地方の雄:毛利家に大友家への侵攻を要請して敵軍を退かせました。翌年にも大友家かた侵攻を受けましたが、前回とは一変して奇襲を仕掛けて相手の大将格を討ち取る大活躍をします。

その後も直茂の提案する策略はことごとく的中し、家中における信頼は絶対的なものとなりました。肥前を統一した龍造寺家当主:隆信は「肥前の熊」の異名をとる名将となり、直茂も隆信と合わせて「龍造寺の仁王門」と呼ばれ、国内外に名声を轟かせました。

名声が大きくなるにつれて、直茂の存在を次第に疎ましく思う者がおりました。それは、他ならぬ龍造寺家当主の隆信でした。隆信は肥前統一を機に、嫡男である龍造寺政家に家督を譲ったものの、実権は手放さず勢力の拡大に野心を燃やしていました。しかし、その手法たるや強引かつ残忍なものが多く、直茂が諫言しても全く聞き入れられませんでした。昔は義兄弟として、ともに切磋琢磨していた2人の溝は深まるばかりでありました。そして1584年、隆信は島津家と有馬家の連合軍との戦で敗れ、戦死してしまいます。

当主を失った龍造寺家には動揺が広がりました。家督を継いでいる新当主:政家は器量に乏しう上に病弱であり、このままでは島津家の言いなりになってしまうことは明白。そこで、家中は直茂に実権を委ねて、今回の危機を乗り切ろうと考えました。

家中存続を託された直茂は、はじめこそ島津家に従うそぶりを見せていましたが、裏では戦国一の出世頭:豊臣秀吉との親交を深めていきました。そして「九州征伐」を起こすように秀吉に呼びかけ、結果として島津家の支配からの脱却と秀吉の信頼までも手にするという謀略ぶりを発揮したのでした(恐ろしい子・・・)。戦後、龍造寺家の家督は政家の子:高房に代わりますが、秀吉は直茂を重要人物として認識し、事実上の国主として扱うようになりました。

1592年からの朝鮮出兵においても直茂が龍造寺軍を率いて出陣し、1596年には重臣たちのほとんどが直茂の子:勝茂に忠誠を誓う状態となりました。

しばらくして秀吉が亡くなり、日本各地の大名は徳川家康率いる東軍と石田三成率いる西軍に分かれ「関ケ原の戦い」が発生します。ここでも直茂は優れた先見の明を発揮して徳川方に味方し、混乱極まる乱世の中で国内の消耗を最小限にまで抑えることに成功しています。

やがて肥前が佐賀藩に改名される頃、龍造寺家が実権を回復させようと画策したものの、幕府をはじめ世間では鍋島家こそが実権を握るべき家系であるとの認識しており、家中ですらそれは同じことでした。1607年、龍造寺家は恨みを持ったまま亡くなり滅亡。直茂の子:勝茂が初代藩主となり佐賀藩が確立され、その礎を築いた直茂は藩祖となりました。

直茂は隠居して余生を過ごし、1618年に81歳で亡くなったのでした。

エピソード

・義兄弟でもある龍造寺隆信が戦死した際、直茂も後を追おうとしましたが、周囲に止められて退却しています。

・秀吉は直茂のことを「天下を獲る知恵も勇気もあるが、覇気が足りない」と評価していたとされています。

・直茂に家中の実権が事実上渡った後、江戸にいて当主に返り咲けなかった龍造寺高房は乱心して妻を殺し、自殺未遂事件を起こしました。これに怒った直茂は「私達家中の者共が、必死なってお家や領地を守ろうとしているのに、御自ら乱心なさるのはどういうことであるのか。こちらに来た際に申し開きがあれば直接お聴きします!」という内容の<おうらみ状>という手紙を書きました。高房の乱心はそれでも治まらず、しばらくして死亡しました。

・龍造寺家の恨みがネコの妖怪となって、佐賀藩成立後に鍋島家を苦しませる「化け猫伝説」なる物語が生まれたともいわれています。

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私 見

はじめは龍造寺家の家臣として仕え、後に実権を握ったことから、これもある種の下克上といえるでしょう。しかし、直茂が本心から主家の乗っ取りを画策したのかは定かではありません。・・・とはいえ、晩年には龍造寺家の復権を妨害するかのような動きもあったことから、野心が全くなかったとも言い切れないでしょうね!

直茂の長所は、

・時勢を読みきる確かな眼力があること。

・戦術的に動くことができ、且つしたたかさを持っていること。

短所は、

・心の奥底が視えないこと。

・時には、味方を見殺しにできる冷徹さを持っていること。

こんなところでしょうか。秀吉には天下を獲るには覇気が足りないと言われていますが、それすらも直茂の策略であったとするならば・・・知略の深さに恐ろしささえ感じる武将です。ただ、彼の優れた先見の明や冷静な判断力は、現代の私たちも学ぶべきものがあるのかもしれませんね。

さて、いかがだったでしょうか。皆さんの人生に役立つことはありましたか?

この記事を読んでいただいた方に幸福が訪れますように!!

 

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