奇襲の達人!夏侯淵とは!?

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さて今回は、曹操の古参であり奇襲の名手である将軍をご紹介いたします!その生涯を一緒に学んで、人生のヒントを見つけていきましょう!

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「我が奇襲にて、敵陣を切り裂いてみせよう!」

英雄名

夏侯淵(かこうえん) 字:妙才(みょうさい)

生 涯(???~219年)

夏侯淵の生年については不明ですが、沛国譙県(現在の河南省)に生まれたとされています。若いときから、覇王:曹操と仲が良くその身代わりになって罪を被るほど信頼していました。

189年に曹操が挙兵するとそれに従って、従兄の夏侯惇とともに呂布軍や袁紹軍を相手に、主力として活躍していきました。曹操は夏侯淵を大いに信頼して、近衛軍大将に任命しました。

その役目は、急な反乱や戦が発生した場合に、曹操の命令で素早く動ける軍を指揮するもので、鋭い進軍を得意とする夏侯淵にピッタリでした。騒乱の中で勃発する戦いを次々と平定し、いつしか夏侯淵は「神速の名将」という異名で呼ばれるようになっていきました。

213年、曹操に父親を殺された猛将:馬超が攻め寄せてきました。馬超は西方の異民族と同盟して強固な軍を形成していましたが、夏侯淵は敵陣を注視した後、周囲の拠点を素早く奪取してから猛攻を仕掛けました。「西涼の錦」たる馬超も、これには耐えきれず撤退を余儀なくされました。

215年、曹操は大陸西部の攻略の要、漢中(かんちゅう)という場所に侵攻しました。夏侯淵は、味方武将とともに真っ先に敵陣へと切り込みましたが、孤立したところを敵将に襲われ敗走してしまいました。考えた夏侯淵は後日、その敵将と一騎討ちを行い、わざと刀を引きづって負けたふりをし、相手が油断したところを逃さず討ち取って勝利したのでした。この活躍によって、夏侯淵は漢中を守備する大役を任せられました。

219年、曹操と覇を競う劉備が漢中に攻め寄せてきました。援軍に向かった曹操は「私が到着するまで、勇気に任せて戦うことならず」との文を出しましたが、夏侯淵は「援軍到着までに何も活躍しなければ、曹操様に申し訳が立たない」として副将とともに出撃してしまいます。そして、敵軍が挑発しながら接近してくるのを見て激昂、つい熱くなって飛び出したところを、待ち伏せていた敵将:黄忠によって討ち取られてしまうのでした。

夏侯淵戦死の知らせを受けた曹操は、長年支え続けてくれた旧友を失ったことで深く悲しんだといわれています。

エピソード

・奇襲が得意で勇猛果敢な性格だった夏侯淵ですが、日頃曹操からは「知略も鍛えなさい。そして、時には臆病になることも必要なのだ」と諭されたようです。

・。夏侯淵は弓が得意で、馬に乗ったまま背後の的を撃ち抜いたり、的に刺さった4本の矢の真ん中を撃ち抜けるほどの腕前であったといわれています。

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私 見

勇猛果敢な性格を持って長年にわたって曹操を支え続けた夏侯淵。奇襲を得意とする彼の最期は、敵の挑発に乗ったところを奇襲されて戦死という皮肉めいたものになってしまいました。彼が曹操の助言をよく聴き入れていれば、歴史はまた変わったのかもしれませんね。

夏侯淵の長所は、

・弓術に優れ、自ら先頭に立って軍を指揮できること。

・勇気があり、忠誠心も高いこと。

短所は、

・熱くなりやすく、冷静さを保てないこと。

・人からのアドバイスを聴き入れることが出来ないこと。

こんなところでしょうか。どんな人にも長所と短所がありますが、特に短所を直すように助言してくれる友人や上司は大切にしたいものです。それを素直に聴けるか聴けないかで、人生は全く違う形のものになるかもしれないのですから。

さて、いかがだったでしょうか。皆さんの人生に役立つことはありましたか?

この記事を読んだ方々に幸福が訪れますように!!

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