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さて、さっそくTwitter投票で人気の高かったプチ歴史解説を行っていこうと思います(^_-)-☆
本日は、三国志の時代に起きた出来事「三顧の礼」について、ご紹介いたします!!それを一緒に学んで、人生のヒントを見つけていきましょう!
三顧の礼:三国志13より
エピソード名
「三顧の礼(さんこのれい)」
登場人物
劉備(リュウビ):三国志14より
⇒蜀の初代皇帝であるが、当時は流浪の身。人徳ある人物として知られている。猛将である関羽・張飛とは義兄弟の間柄。理想実現のため、優れた軍師を求めている。
諸葛亮(ショカツリョウ):三国志14より
⇒天下に轟く天才軍師であるが、当時は無名で晴耕雨読の日々を送る。賢人たちの間では、優れた人物として名が知られていた。
関羽(カンウ):三国志14より
⇒劉備の義弟その1。武術と忠義にあふれる猛将。劉備の天下を望んでいる。軍師の存在は必要と思っているが、諸葛亮の実力は疑っている。
張飛(チョウヒ):三国志14より
⇒劉備の義弟その2。比類なき武力の持ち主。直情的な性格であり、頭を使うような戦はあまり得意としていない。
徐庶(ジョショ):三国志11より
⇒劉備の初代軍師。しかし、曹操の策略を受けて劉備のもとを去ることに。その際に諸葛亮を推薦する。
解説
昔の中国で「後漢」と呼ばれる時代。中国大陸中央部:荊州(ケイシュウ)と呼ばれる場所に劉備という将軍がいました。齢は40代の半ば。
劉備は「仁の世」を創るという理想を掲げ、義弟の関羽・張飛とともに戦いにあけくれていました。
その中で戦に勝ち、的確な政治を行うためには優秀な「軍師」が必要不可欠であると感じていました。ついこの前までは、徐庶という優れた人物が仕えてくれていましたが、事情があって自分のもとを離れてしまいました。
その際、「この荊州には、私など到底及ばない賢者がおります。その名を諸葛亮といいます。この人物を得られれば、劉備殿の天下は近づくでしょう。但し、この人物は、仕えろと言って来るような人物ではありませんよ」との言葉を残していきました。
さっそく劉備は、諸葛亮という人物を調べてみました。齢は20代の青年で、知る人ぞ知る賢者ですが、特段の役職等を持っているわけではない一般人であることが分かりました。対して劉備は流浪の身ではあるものの、各地を転戦してきており、世間では高い名声を誇る将軍です。
普通であれば、年上かつ目上である人物が、年下で実績のない者に会いに行くなど有り得ないことでありました。しかし、劉備はこうした”常識”に囚われる男ではありません。心躍らせながら、説得のため馬を走らせました。
1回目に訪れた時、諸葛亮の弟がいましたが本人は留守でした。弟にいつ戻るのか聞いたところ、今出て行ったばかりなので分からないとのこと。劉備は、おとなしく帰ることにしました。
2回目に訪れた時、この時は真冬でした。「寒いときには、自宅にいるだろう」という劉備の狙いがありましたが、またしても弟しかおらず、いつ戻るか分からないとのこと。劉備は再び、諸葛亮に会えず帰ることとなりました。
その様子を見ていた義弟である関羽と張飛。2回も敬愛する劉備が訪れたのにも関わらず、詫びにも来ない諸葛亮に怒りが沸いてきます。「兄者を何だと思っている!」と息巻く義弟たちを抑えて、劉備は3回目の訪問に向かいました。
諸葛亮の自宅につくと、お目当ての賢者は昼寝をしていました。劉備は、諸葛亮が起きるまで、じっと待っていました(義弟たちがそれを見て不満爆発だったことは言わずもがなw)。やがて、諸葛亮が目を覚ますと劉備は丁寧に挨拶し、ついに二人は直接話し合うこととなります。
劉備は、諸葛亮に会えたことへの喜びと自分の理想、軍師の必要性を語ると、頭を下げて自分に仕えてほしいとお願いしました。
諸葛亮は、その真摯な姿勢に感激し劉備に仕えることを決め、天下を3つに分ける策を授けました。劉備は、その素晴らしい考えに感銘を受け「私は魚、諸葛亮は水のようなものだ(水魚の交わり)」と話したそうです。
諸葛亮という賢者を得た劉備は、ここから更に飛躍していきますが、それはまた別の話・・・。
私見
「目上の人が礼を尽くし、才能ある目下の人を迎え入れる」
これこそが、「三顧の礼」の本質です。
今も昔も人生を充実させるためには、いかに優れた人物(現代風にいえばメンター)と知り合えるかが大事となります。齢の上下は関係ないのです。これには、目上の人自身の器の大きさも必要になってきます。
必要以上の「常識」に囚われない劉備の器量、組織のために尽力する諸葛亮の才能・忠義があるからこそ、このエピソードは光り輝き、現代まで故事として残っているものと考えます。
また、類似事例として日本の戦国武将:豊臣秀吉がその軍師:竹中半兵衛を傘下に迎えるときもこの「三顧の礼」を用いたともいわれています。
私自身もメンターを探している最中ですが、自分の器を常に磨き続けることで、今後出会うメンターに相応しい人間になりたいと思います。
さて、いかがでしたでしょうか。人生に役立つことはありましたか?
この記事を読んでいただいた方々に幸福が訪れますように!!