立身出世の「玉の輿」洲崎神社!

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さて、今回は東京都江東区にある金運アップの神社をご紹介いたします!

その歴史を一緒に学んで、人生を豊かにしていきましょう!

洲崎神社:wikiより

神社名

洲崎神社(すさきじんじゃ)

御祭神

市杵島姫命

御神徳

仕事運上昇、金運上昇

解 説

洲崎神社は、江戸城内紅葉山に5代将軍:綱吉の生母である桂昌院の守り本尊として祀られていた弁財天(弘法大師作)と稲荷社を、元禄13年(1700年)に現社地に遷座して「洲崎弁財天」と称したのが始まりとされています。

現在の御祭神は、弁財天と同神とされる市杵島姫命で、金運上昇や仕事運とともに女性の美と健康の守り神としても信仰を多く集めています。

鎮座地の洲崎は、元禄の間(1688~1704年)、幕府の命で普請奉行の深津正国(八郎右衛門)が、まだ湿地帯であった富岡八幡宮の東を埋め立てて造成された土地であります。そこに綱吉の帰依を受けた真義真言宗護持院の隆光大僧正が社殿を建立して先に述べたように弁財天を遷し祀ったというのがいきさつのようです。

創建当初は海岸線近くの浮島に弁天社が祀られていたことから「浮島弁天」とも呼ばれており、また一帯が風光明媚な環境であったことから多くの江戸庶民の人気、信仰を集める名所となり「江戸六弁天」にも数えられました。初日の出や潮干狩り、月見や舟遊びなどで四季折々の”にぎわい”が歌川広重の錦絵にも描かれています。

明治の神仏分離によって現在の「洲崎神社」に名を改めることとなり、関東大震災や第二次世界大戦で社殿を焼失するといったことに見舞われましたが、弘法大師作といわれる御神体はそうした難を逃れ、現在の社殿は昭和43年(1968年)の再建となっています。

京都の八百屋の娘だった桂昌院(本名・お玉)は、春日局(かすがのつぼね)に見込まれて家光の側室として豪華な輿に乗り大奥に入っていったことから「玉の輿」が立身出世の代名詞となりました。

桂昌院の子・5代将軍:綱吉といえば、隆光大僧正のアドバイスを受けて発した「生類憐みの令」が有名ですが、これに象徴されるように徳川15代のうち、最も自分がやりたいことに特化し、また変質的な性格であった将軍でもあります。

その反面、信仰心という側面からみると、儒教を大変重要視した綱吉は、生母である桂昌院ともども狂信的とさえ考えられるほどの神仏への強力な信仰心を持ち続け、多くの社寺の建立や修復、多額のお布施や寄進を行う等、幕府の財政に大きな影響を及ぼすほどであったともいわれています。

こうした信仰心の篤さと大奥の権力争いを制した桂昌院の守護神の強大なパワーが籠っており、「玉の輿」の出世運が得られる福神としておすすめしたい神社となっています。

さて、いかがだったでしょうか。本日はここまで。

この記事を読んだ方々に幸福が訪れますように!!

住 所

東京都江東区木場6-13-13

 







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