家康相手に退かず!直江兼続とは!?

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さて、本日は上杉家の頭脳として活躍した武将を紹介いたします!その人生を一緒に学んで、人生のヒントを見つけていきましょう!

直江兼続:信長の野望シリーズより

「いざ!義なき輩を成敗せん!」

英雄名

直江 兼続(なおえ かねつぐ)

生 涯

越後(現在の新潟県)の上杉家家臣である樋口(ひぐち)家に生を受けた兼続は、小さいころからイケメンで才覚があると評判でした。その評判を聞きつけた上杉謙信の姉:仙桃院(せんとういん)の推薦によって、5歳から上杉家に仕えることになります。

兼続と謙信は、「主従」というよりも「師弟」に近いような関係であったのではないかと言われています。謙信に従って多くの戦場に参戦した兼続は、戦の采配や軍略とともに、謙信の知識や能力を見事に吸収していきました。その中で、道理に反する戦を徹底的に嫌う高潔な精神論も兼続に受け継がれていくこととなります。

やがて、師である謙信が病死すると、お家騒動(御館の乱)の後、上杉景勝に当主が替わっても、兼続は忠義を尽くし続けます。そして22歳の時に、兼続は上杉家の重臣でありながら、世継ぎがいなかった直江家に婿養子となって樋口姓から直江姓へと改めます(ちなみに嫁:お船は美人の賢妻!!うらやましい( ゚Д゚))。以後、兼続は若くして上杉家臣団の中でもトップに近い立場となります。更に、上杉家の最大の敵であった織田信長が「本能寺の変」で倒れると、激変する時代に上杉家が存続できるよう、国中を駆け回りました。その甲斐あって、上杉家は大大名として天下に知られていくのでした。

兼続の働きぶりは、大変素晴らしかったとされ、豊臣秀吉の目にとまった際には「兼続にならば、安心して天下を任せることができる」とまで言わしめるほどであったといいます。

そうした中で兼続は、石田三成と運命的な出会いを果たします。二人が初めて会ったのは1583年、互いに上杉家と豊臣家の和睦の使者として対面した時でした。同年代で、主君から多大なる信頼を受けている者同士で通じるものがあったのか、すぐに二人は意気投合すると、親友というべき関係を築いていくこととなるのです。

秀吉が死去すると、ついに地に伏せていたタヌ・・いや、英雄:徳川家康が台頭し始めます。「豊臣家を支えてほしい」という秀吉の遺言を無視して動き、豊臣家を蔑ろにする家康に対して、三成は大激怒!兼続もその義心に賛同して、家康打倒を誓いました。

そして1600年、兼続は越後で軍備を強化します。その情報をつかんだ家康は上杉家が謀反の疑いありとして、上洛して弁明するように要求します。すると兼続は「家康殿は偉い立場なのに世間のくだらない噂を信じるのですね。まぁ、そちらも軍備を整えていらっしゃるようだし、越後に来ていただけるならばいくらでもお相手して差しあげましょう」といった内容の手紙(直江状)を送りつけます。メチャメチャ挑発してますよね、これ(笑)

当然、これを受け取った家康は憤慨し、上杉家征伐のため軍を動かします。その隙を突いて三成が挙兵、留守となった家康の居城を攻め落としました。この戦いを発端として、全国の大名が西軍(豊臣方)と東軍(徳川方)に分かれて分裂、「関ケ原の戦い」に繋がっていくこととなります。兼続は、「関ケ原の戦い」で三成が勝利することを信じて東北地方で奮戦します。しかし、結果として三成は敗れてしまい、その報告を聞いた兼続はショックのあまりその場で自害しようとします。それを止めたのは、兼続と旧知の仲である天下御免の傾奇者:前田慶次でありました。慶次の説得によって、敗北を受け入れた兼続は全力で戦場からの撤退を決意。生存が絶望的な撤退戦でありましたが、慶次の超人的な活躍と兼続の巧みな戦術によって、どうにか越後へと辿り着くことができました。

「関ケ原の戦い」の後、兼続は上杉家存続のため徳川への謝罪に奔走しました。「この戦いの発端は全て自分の責任であり、主君は一切の関係がありません!」との潔い言葉は家康を感心させ、上杉家は許されます。しかし、減封までは免れず150万石から30万石に減らされてしまいました。それでも兼続は、自領の発展のため尽力し続けます。そして、1620年に60歳で亡くなると直江家はお取り潰しとなりますが、これは兼続が望んだことであり、兼続の禄は上杉家へと吸収されることとなりました。兼続は死してなお、上杉家への義を全うしたのでした。

エピソード

・兼続の兜には「愛」の文字が刻まれています。これは愛染明王(あいぜんみょうおう)を表すとともに、戦場では私欲ではなく、民のために戦うことを宣言した「愛民」の意味が含まれています。

・秀吉が兼続を手に入れようと、莫大な領地をエサにして景勝との仲を裂こうと策略しましたが、兼続は「我が殿である上杉景勝以外に仕える気は毛頭ござらん!」とキッパリ断わりました(か、カッケー(*’▽’))。

・徳川政権時、廊下で独眼竜:伊達政宗とすれ違った際に兼続は会釈すらしないで素通りしました。これを政宗が咎めると「政宗殿とは何度も戦場でお会いしておりますが、いつも背中しか見ていなかったので分かりませんでした」と返答しました(オ~、ジャパニーズ、ブラックジョーク(+_+))。

・昔は、家康に歯向かって上杉家を窮地に追い込んだ奸臣とされていましたが、上杉鷹山が兼続の政策を藩の改革に取り入れたことで、再評価がされた武将でもあります。

直江兼続:信長の野望シリーズより

私 見

昔から人(特に日本人)はとにかく権威に弱く、長い物には巻かれろという心理的な傾向があります。当時の最大権力者である徳川家康に、物怖じすることなくしっかりとした意見を言える胆力が兼続の魅力だと感じます。組織の中に、このような人がいれば、とても心強いでしょうね!

兼続の長所は、

・組織を必ず存続させるという確固たる信念をもっていること。

・巨大な権力にも屈することなく、自分が正しいと思った言動ができる。

短所は、

・予想外の出来事に対して、心がポッキリ折れることがある。

・時代を読み、思考の柔軟性に乏しいことがある。

こんなところでしょうか。どんなものにも屈しない確固たる信念を持ちながら、自分が正しいと思った行動を常に模索して実行していく。私も自己実現のため、兼続の長所を学び、活かして自分を高めていきたいと考えます。

さて、いかがだったでしょうか。人生に役立つことは見つかりましたか?

この記事を読んだ方に幸福が訪れますように!







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