戦国の魔王!織田信長とは!?

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さて、今回は戦国時代にその先見の明をもって、天下に覇をとなえた英雄をご紹介いたします!その生涯を一緒に学び、人生のヒントを発見しましょう!!

織田信長:信長の野望シリーズより

「俺は、ただ己が道を突き進むのみ。貴様は天下のために何ができるのだ?」

英雄名

織田信長(おだ のぶなが)

年 表

まずは、年表でチェックしていきましょう!

1534年 織田家にて誕生する。
1546年 元服。
1548年 斎藤家から濃姫を正室とする。
1551年 織田家当主となる。
1555年 清州城を本拠とする。
1556年 弟:信行が謀反を起こし、翌年これを殺害。
1559年 尾張統一に成功。
1560年 桶狭間にて今川義元を破る。
1562年 徳川家康と同盟。
1567年 岐阜城を本拠とする。
1568年 妹:お市を浅井家に嫁がせる。
1570年 姉川の戦いにて浅井・朝倉連合を撃破。
1571年 比叡山延暦寺を焼き討ち。
1573年 将軍:足利義昭を追放、室町幕府を滅ぼす。
1574年 伊勢長島一向一揆を鎮圧。
1575年 長篠の戦いで武田家を撃破。
1576年 安土城築城。
1580年 石山本願寺と停戦。
1582年 武田家を滅ぼす。本能寺にて自害。

生 涯

日本の戦国時代と聞いて、真っ先に名前があがる織田信長。1534年に生をうけた信長は、まさに時代の革命者というべき活躍を見せ、天下にその名を響かせていきます。

そんな信長の少年時代は「うつけ者」と呼ばれ、周囲の大人たちからの評価は高くありませんでした。奇抜な格好に、身分を気にしない付き合いをしていたからです。家中の重臣たちは、織田家の終わりを予感したといわれておりますが、それすらも信長の演技だったのではないかとされています。

それを裏付けることとして、当時の織田家は斎藤家・今川家・武田家という強力な大名たちに周囲を囲まれており、ちょっとしたことで簡単に滅んでしまう危険性がありました。信長はあえてそうした立ち振る舞いをすることで、他家から「織田家は放置しても自滅するであろう。」と思わせていたと考えられるのです。事実、後に上洛を目論んだ今川義元は、信長の本質を見抜けずに桶狭間にて討ち取られてしまいました。

また、少年時代の信長の遊び仲間には、後に織田家で活躍する池田恒興や前田利家もおりました。加えて、家康とも小さい時から交流があり、堅い盟約を結んで勢力の拡大に向け万全の体制を敷くことが可能となりました。遊ぶふりして未来の家臣や盟友たちを選んでいたとは・・・信長、恐ろしい子!( ゚Д゚)

信長は家督を継ぐと、しっかりとした身なりを整え、堂々たる佇まいであったといいます。このギャップを諸大名に見せつけて強烈な印象を与えることに成功し、且つ内部には立派な姿を見せることで、今まで信長に不満を持っていた柴田勝家ら旧家臣たちからの忠誠をも得ることになったのです。

信長はそうしたイメージ戦略が得意であり、それは彼の生涯の随所でみられます。1567年の美濃(岐阜県南部)制覇をきっかけに打ち出した「天下布武」という言葉。武をもって天下を制すという意味で、当時まだ小さい勢力であった大名が宣言することとしてはメチャメチャぶっ飛んでいました。しかし、組織の目的を明確にすることで家中がまとまり、織田家は更に活躍していくこととなりました!また、南蛮文化にも興味を示し交流することで、初めて触れる文化・思想・道具をいち早く日本に組み込みました。特に、鉄砲の技術をとりれたことは戦での戦術を飛躍的に発展させました。

このように古きを捨てて新しきを取り入れるその姿勢は多くの武将たち、とりわけ未来のある若者に憧れをもたれたことでしょう。

順調に勢力を広げていく信長でしたが、天下統一がみえた1582年に、部下であった明智光秀の裏切りを受け、本能寺において自害してしまうのでした。

織田信長:信長の野望シリーズより

織田家とは?

織田家は越前(福井県)の神主でしたが、室町時代に尾張(愛知県)に移り、斯波氏の家臣となります。戦国時代に入り、下克上の風潮に乗った父:織田信秀は斯波氏の権力を奪って自身が戦国大名になると、斎藤家・今川家と争いました。

信長が当主となると、清州城を本拠として尾張を統一。翌年の桶狭間で今川家を破ると破竹の勢いで勢力を伸ばしていきます。

1568年、将軍:足利義昭を担いで上洛をはたしますが、のちに義昭を追放しています。浅井家・朝倉家・武田家といった有力大名家も次々と攻め滅ぼしました。

1582年に信長が死亡すると、孫の秀信が後継者となりますが、徐々に豊臣秀吉に権力を握られ、家名は転落していきます。

しかしながら、信長の次男:信勝の子孫と、信長の弟の子孫は生き残り、現在まで至っています。

エピソード

・米がやり取りの主流であった時代において、金銭の重要性を理解しており、関所を廃して品物の行き来を盛んにし、特権的な商人グループも解散させて人々が自由に商売をできるように整備しました(楽市楽座)。

・比叡山延暦寺の焼き討ちについては、近年では信長が延暦寺側に「協力しくれるならば助け、それが出来ないのなら中立を保ってほしい」という書状を出しましたが、1年たっても返答がないために攻撃したという説もあります。

・安土城を提灯を用いてライトアップさせ、また安土城の内部を多くの人にみせて喜んでもらう姿をみるのが好きだったと伝わります。

私 見

信長は非常に頭がよく、自ら積極的に行動を起こして世の中を変えていきました。組織のリーダーとして、素晴らしく有能であり革新的な姿は現代に例えるのであれば、孫正義さんやスティーブ・ジョブズさんをもっと強烈にしたような人であると予想します。

信長の長所は、

・時代の変化を的確につかんで、行動していること。
・組織の目的を明確にして、新しい技術を積極的に取り入れていること。

短所は、

・独断的な傾向が強く、人によっては相性がとんでもなく合わないこと。
・自分に従わないものについての対応が冷酷であること。

こんなところでしょうか。好みはあるでしょうが、組織のトップとして魅力あることは確実でしょうし、まさに「人間50年」という限られた時間を凄まじい勢いで駆け抜けたことこそが、現代に至るまで多くの日本人を惹きつけることとなったのでしょうね。

いかがだったでしょうか。人生に役立つことはあったでしょうか?

この記事を読んでいただいた方に幸福が訪れますように!!

織田信長:信長の野望シリーズより

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