結構似てる!?三国志と日本史の英雄たち!①

皆さん、こんにちは!こんばんは!うまぽよです🐴✨

今日もご覧いただきまして、誠にありがとうございます!

さて、今回は私が感じている「三国志」と「日本史」の英雄たちの共通点をお話ししていきたいと思います!あくまで、私の個人的な見解なので、歴史的に正しいとかそういうことではない企画です(笑)

三国志は知ってるけど、戦国はあんまり知らない。また、戦国は知ってるけど、三国志はふれたことことがない。そういった方々に、是非楽しんで頂ければと思います!完全な趣味企画、ではさっそく行ってみましょう🎵

曹操と織田信長

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「常に時代の先を見よ。己が才を磨け。」

織田信長:コーエーテクモゲームス

「我が軍に常識などいらぬ。つまらん人間になるな。」

はい、まずはこの2人。共通点は、「昔はヤンキーだった」「常識にとらわれない考え方」です!

曹操は、若い時に友とつるんで酒や女遊びに夢中になりました。信長も大勢の友とともにぶっ飛んだ行動で「うつけ者」と呼ばれていました。お互いに、世間の評判はあまりいいものではありませんでした(どちらも、あえて素行悪く見せていたともかんがえられますが)。

しかし、成長するにつれて眠っていた才能が溢れ出し、曹操は戦乱の世に台頭する「覇王」として、信長も戦国の「魔王」として世の中に浸透していくようになります。また、両者ともに「家柄」や「伝統」といった常識に縛られることはなく、徹底した成果・効率を追求する等、考え方も非常によく似ています。

どちらも、国の統一を果たす前に亡くなってしまいますが、後世の英雄たちに多大な影響を与えたと考えられます!

 

劉備と豊臣秀吉

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「我が大望のため、皆の力を貸してくれ!」

豊臣秀吉:コーエーテクモゲームス

「わし一人では出来んが、皆と一緒ならば果たせよう!」

次にこの2人。共通点は、「貧しい身分から国主へと成り上がった」「多くの人々を惹きつける魅力を持っている」です!

三国志の国の1つである蜀を興した劉備は、血筋こそ漢の皇帝を引いておりましたが、ワラやイグサを編んで作った簡易な敷物を売って生活しており、裕福なものではありませんでした。日本の天下統一を果たした秀吉も、生まれた家の身分は高くなく、一般的な農民と変わらない生活を送っておりました。そうした環境の中でも、両者ともに高い志を持ち、劉備は義兄弟である関羽や張飛と、秀吉は戦国の魔王:織田信長に出会うことで覚醒し、国中にその名を知られる存在となりました。

また、お互いに優れた魅力を持っており、多くの味方を獲得しています。代表的な武将でいえば、劉備は天才軍師:諸葛亮や鳳雛:龐統(どちらかがいれば天下を獲れると言われていた名軍師たち)、秀吉は今孔明:竹中半兵衛に鬼謀:黒田官兵衛(この2人の策略で秀吉は天下統一を果たせたといってもいい)を得ることに成功しています。

孫権と徳川家康

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「今こそ決戦の時ぞ!怯むでない!!」

徳川家康:コーエーテクモゲームス

「ようやく時がきたか。待った甲斐があるというものよ。」

続きましてはこの2人。共通点は「若くしてお家の重要なポストに就いている」「天下分け目の戦における決断力」です!

孫権は2歳の時に、家康は8歳の時に父親を亡くしており、若くして家中をまとめる重要な役目を担うこととなりました。また、部下の能力を見極めて適材適所に振り分けることともに、人心掌握にも長けていたことから、部下からの信頼も厚い名君でありました。

そして、大きな戦における決断力や判断力もずば抜けておりました。力をつけた覇王:曹操が孫権の領土を攻撃してきた「赤壁の戦い」では、精鋭揃いの劉備と同盟を結び、強大な曹操との戦いを恐れる部下に対して机を切り落とし「戦を恐れる者は、この机と同じになると心得よ!」と一喝。見事に勝利を得ることになりました。家康は、豊臣秀吉が亡くなった後、絶大な権力を活かして味方を増やし、西軍と天下分け目の大戦「関ケ原の戦い」に臨んでいます。ここで、風見鶏の小早川軍に対して鉄砲による威嚇射撃を行い、寝返りを強制させました。この戦に勝利した家康は、最終的に豊臣に続く天下を獲得することになったのです。

関羽と上杉謙信

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「我が義の一閃、受けるがよい!!」

上杉謙信:コーエーテクモゲームス

「我が軍の精強さ、その身に刻めい。」

続いての2人は、ともに「軍神」の異名をとる将軍たちです。

関羽は、敵軍の中に個人で突っ込んでいって敵将を討ち取れるほどの猛将。覇王:曹操や孫権でさえも、関羽がいたことによって容易に蜀に攻め込むことはできず、共同であたるほかありませんでした。

上杉謙信は、軍略に精通しており、的確な用兵術をもって敵軍をせん滅することに長けた将軍です。宿敵である武田信玄の他、北条家や織田家でさえも容易に越後には侵攻してきませんでした。

また、お互いに「義」を尊ぶ性格であり、関羽はたとえ敵であっても恩を受けたことを忘れずに生き、謙信も信義なく戦を起こすことを好まなかったといわれています。

夏侯惇と伊達政宗

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「出陣せい!勝利を掴んでみせよう!」

伊達政宗:コーエーテクモゲームス

「我が軍に死角なし!いざ進め!」

見てわかるように眼帯つながりです、はい(段々雑になってきてる笑)。

夏侯惇(かこうとん)は、覇王:曹操の腹心であり、政宗は奥州(現在の東北)の雄でございます。お互いに優れた武勇と軍の統率能力を持ち合わせた名将であり、誰に対しても物怖じしない性格でありました。

ちなみに、夏侯惇は戦で左目に矢を受けた際「父母にいただいた身体を捨てられるか!」と矢を引き抜いて目玉を喰らったとされ、政宗は病気で右目を失った際「病気とはいえ、父母からいただいた片目を失うとは不孝である」と、発言もシンクロしています。

典韋と武蔵坊弁慶

典韋:コーエーテクモゲームス

「曹操様!俺が時間を稼ぎます!!」

武蔵坊弁慶:コーエーテクモゲームス

「義経様!ご武運を!!」

この2人の共通点は「主を守っての壮絶な最期」につきます!

典韋は覇王:曹操の親衛隊として、弁慶は源義経の部下として仕えていました。立派な体格と高い忠誠心、そして武勇に優れる猛将でございます。

主君からも高い信頼を得ていた両者でしたが、典韋の主君:曹操は味方の裏切りによって、弁慶の主君:義経は兄である源頼朝によって絶体絶命のピンチになってしまいます。そこで主君の逃げる時間を稼ぐために、両者は道に立ちふさがって武器を振るい奮戦しました。鬼神のごとき怪力無双に、動揺する敵軍。しかし、最期はお互いに大量の矢を浴び、仁王立ちのまま絶命してしまうのでした。

さて、いかがだったでしょうか。個人的には結構似てる部分があるように感じています。今回の企画、楽しんでいただけたでしょうか?

この記事を読んだ方に幸福が訪れますように!







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