皆さん、こんにちは!こんばんは!うまぽよです!
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さて今回は、諸葛孔明と並び称される天才軍師をご紹介いたします!その生涯を一緒に学んで、人生のヒントを見つけていきましょう!
「俺ぁの命すら、軍略の一端にすぎねえよ!」
英雄名
龐統(ほうとう) 字:士元(しげん)
生 涯(179年~214年)
若い頃は口が上手くなく、身なりも冴えなかった(おいおい(-_-;))ことから過小評価を受けて育ちましたが20歳のとき、人物鑑定で有名な司馬徽(シバキ:異名を水鏡)に、その才能を認められたことで名声が高まっていきました。加えて、これまた人物鑑定の名士である従父:龐徳公(ほうとくこう)からは、伝説の鳥である鳳凰のヒナ「鳳雛(ほうすう):才能があって大業をなせる人物」という異名を得るほどの評価を受けました。こうした人物鑑定者との縁が深かったことから、自らも人物の鑑定を好むようになっていきました。
その後、「赤壁の戦い(208年)」で曹操の大軍に勝ち、大陸中央部である荊州(けいしゅう)を手にした劉備が賢人を募集すると、それに応募しました。劉備は、龐統の素晴らしい論文をみて面接しますが、龐統の身なりが冴えなかった(ちょっと( ;∀;))ことから採用はするものの、地方へ飛ばしてしまいます。龐統は、この処遇に不満を覚えて毎日酒を飲んで仕事を滞らせたため、劉備から解雇されちゃいます。しかし、これを聞いた孫権軍の智将:魯粛(ろしゅく)が「龐統殿は大役を与えてこそ光る人物です」と劉備に薦め、軍師である諸葛孔明(以降、諸葛亮)の取り成しもあって再び劉備に召し抱えられると、なんと諸葛亮と同じ役職に任命されました(こりゃあえらい大出世だぜぃ!(^^♪)。
劉備軍の次の狙いは、大陸西部の益州(えきしゅう)を得ることでしたが、そこは劉備の同族:劉璋(りゅうしょう)が治めていたので、仁義を重んじる劉備は軍を動かすことに尻込みしてしまいます。せっかく血を流さずに益州を手にできるチャンスが発生し、龐統が「今こそ動くときです!」と言っても、劉備は「同族を大義なく討つなど、上は天が許さず、下は民が許すまい」といって首を横に振るばかり。
落胆する龐統を見て劉備は「龐統よ、私は確かに益州が欲しい。しかし、大義名分なく出陣する勇気がないのだ」と本心を打ち明けます。それを聴いた龐統は「ご安心下され。私が軍師として、大義名分ある出陣にしてみせます!」と返答しました。
龐統はまず、計略を用いて劉璋軍の内部に、劉備軍への裏切者がいることをあえて知らせて劉璋を怒らせ、軍を自分たちへ向けさせることに成功します。次に、劉備の馬を借りて出陣、伏兵がいるのを分かっていながら突撃を開始します。龐統は無数の矢を全身にあびて死去。36歳でした。
・・・皆さん、お分かりでしょうか。劉備軍は、劉璋軍によって軍師である龐統を失いました。なんと、龐統は自身の命を最後の策として、劉備に益州を攻めさせる大義名分を作り出したのです。劉備はその後、怒涛の攻めをみせて益州の攻略に成功、本拠地を得ることに成功するのでした。
<演義(小説)での活躍>
演義では、登場が少し早く、活躍や死もよりドラマティックになっています!
内容は以下の①~③です。
①208年、曹操と孫権・劉備連合の大決戦「赤壁の戦い」が発生したとき、龐統は連合側を勝たせるために一計を案じます。今回は海の上での船上戦。大地での戦闘を得意とする曹操軍は船に慣れておらず、船酔いする者が続出して大変困っていました。曹操軍にしれっと潜入した龐統は、曹操に対して「船同士を鎖で結べば足元が安定し、曹操殿の兵士を存分に活躍させられるでしょう」と助言。さっそく曹操がそれを採用して船を鎖で結びつけると足場が安定しました。これには曹操も大喜び!龐統は笑顔で去っていきました。・・・え、曹操を有利にさせてどうするのって??(*´ω`)
はい、ここで皆さんに質問です。鎖でガッチリつながれた船団に火を放ち、風で煽ったらどうなるでしょう?・・・そうです、燃え広がってしまいますよね!これこそが龐統の本当の狙いでありました(連環の計)。戦いは見事、火計を用いた孫権・劉備連合の勝利に終わるのでした。
②最初は孫権の就職面接を受けますが、身なりが冴えず(またかよ( ゚Д゚)!)、態度も悪かったため採用されず、劉備の就職面接でも身なりが冴えない(いいかげんにせい!(ノД`)・゜・。)ため、地方に飛ばされます。毎日酒を飲んで仕事をしていなかったため、劉備軍の猛将:張飛が監査にきたところ、100日分の仕事を半日で終わらせたことで才能が認められ、劉備は外見で判断した自分を恥じたといいます。
③龐統が落命する場所は「落鳳坡(らくほうは)」という地名です。奇しくも龐統の異名「鳳雛(鳳凰のヒナ)」が「落ちる」として縁起が悪い地名であり、結果そこで矢を受けてしまうのでした。
エピソード
・性格は、思ったことはギュンギュン語るタイプで、戦の勝利に浮かれる劉備に対し「他人の国を奪って喜ぶとは、大義ある軍とは言えませんな」と批判します。劉備は怒って龐統に退席を命じましたが、確かにその通りだと自分の非に気がついて龐統を呼び戻しました。劉備は「龐統よ、先程の議論で私と君のどちらが間違っていたのか教えてくれ」と聞くと「2人とも間違っておりましたな」と龐統も皮肉を言ってしまったのを詫びたので、笑い話になったと伝わります。
・龐統は人物評価を好んで行いましたが、出すのは過大評価ばかり。その理由を尋ねられると「今は乱世で、人の心も荒んでおり、名誉欲くらい満たせてあげないと立派な者が出てこないじゃないか」と答えています。
・三国志の著者:陳寿は「龐統は常に人物批評を好み、経学と策謀にすぐれ、才能に秀でた人物と謳われていた」と書いており、曹操軍の精鋭軍師たちに負けない力があると評価しています。
龐統:三国志シリーズより
私 見
素晴らしい才能を持ちながら、その身なりがイマイチだったことで冷遇されたり、批判されたりと大変な苦労をしている龐統。劉備によって才能を見直され、これからというときに自らの命を使用する計略で亡くなってしまうその生涯は、実にもったいないと感じてしまいます。稀代の名軍師はその命を持って、ヒナから鳳凰となって天に昇り、劉備に本拠地を与えたのですね。
龐統の長所は、
・誰に対しても、物怖じせずに発言できること。
・自分の命すら計略に組み込むほどの智謀をもっていること。
短所は、
・身なりが冴えないこと(もうええわ!( ゚Д゚))。
・堂々と発言できるが、態度が悪いこと。
こんなところでしょうか。戦術面が光る龐統ですが、政治や外交面での活躍ももっと見てみたいと感じます。自分の命を大事にして、誰も考えないような戦術・工夫を作り出していくことの大切さを教えてくれる英雄だと思います!
さて、いかがだったでしょうか。人生に役立つことはありましたか?
この記事を読んでいただいた方に幸福が訪れますように!!