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さて、今回は大河ドラマにもなった「お江」にゆかりのある金運上昇神社をご紹介いたします!
その歴史を一緒に学んで、人生の糧としてまいりましょう!
鶴岡八幡宮:公式HPより
神社名
鶴岡八幡宮(旗上弁財天社):つるおかはちまんぐう
御祭神
・多紀理毘女命(たぎりびめのみこと)
・市寸嶋姫命(いちきしまひめのみこと)
・多岐都比売命(たぎつひめのみこと)
御神徳
金運上昇
解 説
「鎌倉江の島七福神」の弁財天の社として参拝者を集めている旗上弁財天社は、鶴岡八幡宮境内の源氏池に浮かぶ中の島に鎮座し、宗像3女神の多紀理毘売命、市寸嶋姫命、多岐都比売命を御祭神としています。
源頼朝が江島弁財天に勝利祈願した話は広く知られていますが、当社の弁財天に関しても、頼朝が旗揚げした際に出現して、家運長久守護のパワーを発揮したといわれています。伝承では、そのありがたい神霊を祭るために妻の北条政子が建立したことが、この旗上弁財天社の起源とされています。
社名は、1221年の「承久の変」の際に、後鳥羽上皇の軍に対抗するために北条政子が社前に鎌倉御家人を集結させて旗揚げしたことに由来しているともいわれています。
江戸時代になると、徳川2代将軍の妻:崇源院(すうげんいん=お江)が旗上弁財天を篤く崇敬したと伝わっており、その加護によって3代目将軍:家光を授かったとされています。
境内入口の鶴岡八幡宮のシンボルとして有名な太鼓橋(赤橋)を渡って右手にあるのが源氏池、左手が平家池です。2つ合わせて源平池と呼ばれるその池は1182年、源頼朝の命によって鶴巻田という田地を池にしたものといわれ、その時一緒に太鼓橋も架けられました。
源平池の造営は、時期的に鶴岡八幡宮に通じる若宮大路(参道)の造営と同時に行われたものと考えられています。その昔は、源氏池に源氏の白旗にちなんだ白蓮が咲き乱れいたといわれていますが、現在は社殿の前に白藤の棚が設けられており、4月下旬からの開花時期には優雅な姿が見られるはずです。
明治維新の神仏分離令の際に社殿が取り壊されたこともありましたが、1956年に崇敬者の熱心な設立運動によって再建され、さらに1980年に江戸時代後期の古図に基づいて造営されたのが現在の社殿となっています。
現在、鎌倉国宝館に寄託されている国の重要文化財・弁財天坐像(裸弁財天)は、明治の神仏分離まで旗上弁財天社に安置されていたものではないかといわれています。
北条政子やお江といった時代の統治者の妻と縁深いこの神社、是非訪れてみてはいかがでしょうか。
さて、今回はここまで。
皆さんの人生に役立つ一助になれたでしょうか。
この記事を読んだ方々に幸福が訪れますように!!
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