皆さん、こんにちは!こんばんは!うまぽよです🐴✨✨
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さて、今回は魔王:織田信長も心を許した数少ない若武者をご紹介いたします!
その生涯を一緒に学んで、人生のヒントを見つけていきましょう!
森蘭丸:コーエーテクモゲームス
「信長様!ここは私にお任せくだされ!」
英雄名
森蘭丸(もり らんまる)
生 涯(1565~1582年)
戦国の美少年代表として広く知られている森蘭丸は、戦国魔王:織田信長に古くから仕えていた森可成(よしなり)の三男として生まれました。
信長に仕えることが幼少期からの使命であった蘭丸は厳しく育てられた結果、品行方正かつ文武に優れた武将へと成長しました。
6歳の時に父である可成とその長男:可隆(よしたか)が戦死してしまい、家督は次男である森長可(ながよし)が継ぐこととなりました。
兄:長可がその激しい気性とともに武功挙げていく一方で、蘭丸は英才教育を受け続け、15歳になったころには信長の小姓として仕官しました。
信長は才気と美貌あふれる蘭丸をたいそう気に入って、自分のそばに置き続けて寵愛するようになっていきました。
蘭丸はただ信長のそばにいるだけではなく、家中の取次や奏者、諸事奉公等を任せられる有能な事務官であり、諸将への使者としても任用されました。蘭丸の上品で堂々とした振る舞いは、織田家のみならず、他家でも大変評判となりました。
上杉家へ密偵として潜入したことがばれ、自害をしようと考えた時も、越後の龍:上杉謙信に引き留められ、城下を見て回ることも許しました。
敵味方を問わず、多くの者に認められる蘭丸を信長は大切にし、蘭丸の進言であれば素直に聞き入れる等ますます重用され、ついにはあの武勇の誉れ高い織田家において、戦場での武勲がなくとも城を任される立場まで出世したのでした。
これほどの才能と人望にあふれた人物が他家で活躍していれば、よほど歴史に名を残す武将になっていたことでしょうが、蘭丸は決して信長のもとを離れることはありませんでした。
1582年、明智光秀が「本能寺の変」を起こしても、蘭丸は信長の傍で必死に戦いました。
戦場経験の乏しい蘭丸は、信長を守るために奮闘しますが多勢に無勢。
最後は安田作兵衛なる者に討ち取られ、ふたりの弟とともに戦死してしまうのでした。
享年19歳。若すぎる死ではありましたが、最期まで主のために忠を尽くす姿は、現在においても多くの人の心を打っています。
エピソード
・蘭丸は俗称であり、本名を成利(なりとし)といいます。
・信長が手の爪を切り終えた後、切った爪を扇に乗せ、蘭丸に捨てに行くよう指示しました。蘭丸が切った爪を数えると指9本分しかなかったため、蘭丸は戻って残りの爪を探したといわれています。
・あるとき、信長が蘭丸に「隣の部屋の障子が開いているので閉めてこい」との指示を出しました。蘭丸がその部屋まで行くと実際の障子は閉まっている状態でした。蘭丸は軽く障子を開けてからピシャリと閉め、信長の元に戻って”障子は閉まっていた”と伝えました。
信長が「障子が閉まる音がしたが、それは何か」と問うと、「実際の障子が開いていては、信長様の粗相と見られてしまう可能性があるため、閉める音を周囲に聞かせたのです」と答えたといわれています。
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私 見
身内だけではなく、他家からも非常に高く評価された蘭丸。文武に優れ、容姿端麗、かつ事務仕事も抜群にできるという非の打ち所がない人物ですよね。信長から信頼され、また信長を絶対的な君主と仰いで任務を全うする純粋な心の持ち主であったことがうかがえます。
蘭丸の長所は、
・才能にあふれ、遺憾なくそれを発揮していること
・容姿端麗で、所作も洗練されていること
短所は、
・戦国時代を生き抜くには、あまりに純粋すぎたこと
こんなところでしょうか。現代も若くして才能を発揮している人たちは多くおりますが、無理をして現役時代が短くなってしまったり、結果が出ないことに挫折してしまっては勿体ないです。蘭丸のように常に自分をひたむきに磨け上げ、目標に持久力をもって臨むことが必要だと感じます。
さて、いかがだったでしょうか。皆さんの人生に役立つことはありましたか?
この記事を読んでいただいた方々に幸福が訪れますように!