生涯不敗の雷神!立花道雪とは!?

皆さん、こんにちは!こんばんは!うまぽよです🐴✨

今日もご覧いただきまして誠にありがとうございます!さて今回は、九州の猛将をご紹介いたします!その生涯を一緒に学んで、人生のヒントを見つけていきましょう!

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「智武を磨き主に尽くすこと、これぞ士の道なり」

英雄名

立花道雪(たちばな どうせつ)

生 涯(1513~1585年)

九州の「雷神」「鬼道雪」という異名で広く知られている立花道雪は、本名を戸次鑑連(とつぎ あきつら)といい、豊後(現在の大分県)大友家の一族である戸次家に生まれました。以下、分かりやすいように道雪と呼ぶことにします。

道雪の初陣はなんと13歳の時であり(若すぎいい!)、自軍よりも3,000人も多い敵:大内家に勝利を収めました。豊後にとんでもなくヤバい武将がいるとして、その武名は広く知られることになりました。

それ以降、主君である大友宗麟の家督相続に尽力、謀反を起こした武将への粛清、領地へ進軍してくる毛利家・龍造寺家・島津家に対する防衛等、生涯37回の戦い全てに勝利を収め、敵からは「鬼道雪」と呼ばれ恐れられる存在となりました。

特に大友宗麟とタッグを組んだ1550年からは、大友家の最盛期を作り上げました。しかし、ちょっと調子に乗りやすい主君:大友宗麟は領土を強引な方針で拡大させようとし、宗麟の暴走を止めるべく動く道雪の尽力も空しく、一番手を出してはいけない相手:島津家と戦になってしまいました。結果、大友家はこの戦に大敗(道雪は毛利家への抑えの為、出陣していなかった)し衰退の一途をたどることとなります。

このような苦しい状況下にあっても、道雪は老体に鞭打って戦場に立ち、各地を転戦して大友家の領土確保に努めましたが、高齢と病には勝てず73歳にて陣没してしまったのです。

エピソード

・道雪に改名したのは50代の頃(1563年)であり、主君:宗麟の剃髪と同時期であったといわれています。

・その生涯の戦において負けなしという輝かしい戦歴を持つ道雪ですが、若い頃に落雷を受けた影響で、下半身不随でありました。通常であれば馬にも乗れないため出陣などできませんが、道雪は家臣に輿を担がせて戦場に立ち、鉄砲と刀を手に指揮を執りました(タフすぎる((+_+)))。

・落雷を受けた時も、愛刀「千鳥」を振りかざして雷を一刀両断して一命を取り留めたとされ、その後は雷神の化身として愛刀を「雷切」に改名して戦場に持ち歩いたといわれています。

・道雪は56歳にして、初めての一人娘:立花誾千代(ぎんちよ)を授かりました。道雪は家の跡取りとして、男子同然の教育を授けて家督を譲りました。その後、同僚の高橋紹運の息子を養子にもらい受けて、娘と結婚させます。その養子こそ、西国無双:立花宗茂でありました。

・道雪の名声は天下に響いており、甲斐の武田信玄が面会を望み、小早川隆景をはじめとする毛利家家臣を震撼させ、その死にあっては敵軍の名将:鍋島直茂も敬意を表すほどであったとされています。

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私 見

類まれな能力を持って大友宗麟を支え、その最盛期と衰退をともに体感していった道雪は、紛うことなき名将でありましょう。身体にハンディキャップを背負いながら、最期の時まで果敢に戦場に立つその姿は多くの者の心を打ったと推察します。

道雪の長所は、

・武略・知略・決断力に優れ、慢心していないこと。

・身体に不自由があってもそれを感じさせない活躍をしていること。

短所は、

・主君の暴挙を止めきれなかったこと。

・目的達成のためならば、冷酷にもなること。

こんなところでしょうか。しかし、この短所失くして大友家の隆盛と西国無双の誕生はなかったわけですから、判断が難しいところですよね。道雪の自他に厳しく、自身の障害をも乗り越える強さ・・・真に現代の私たちも学ぶ部分が多い武将なのではないでしょうか。

さて、いかがだったでしょうか。皆さんの人生に役に立つことはありましたか?

この記事を読んだ方々に幸福が訪れますように!!

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