輝く名族!袁紹とは!?

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さて今回は、三国志の中でも有名な名族出身の武将をご紹介いたします!その生涯を一緒に学んで、人生のヒントを見つけていきましょう!

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「名族たる誇りを胸に!皆、雄々しく進軍せよ!」

英雄名

袁紹(えんしょう)字:本初(ほんしょ)

生 涯(???~202年)

袁紹は4世代にわたって三公(政治の最高位)を輩出した名門に生まれました。若いときから活動的且つ名門であるのに謙虚な性格、容姿も立派であったことから多くの人たちから慕われていました。加えて、若き曹操を含む悪友たちとつるんで悪ふざけをする一方、限られた人としか会わないことで名声を高めるしたたかさも持ち合わせていました。

青年になると、名門出身ということもあって出世を重ね、漢帝国の近衛隊長となり国を腐敗させる宦官を成敗する等の活躍をみせます。しかし、暴虐の徒:董卓(とうたく)が都に入って帝を乗っ取ると、さすがに手に負えず帰郷しました。

190年、董卓から帝を取り戻すため中国全土の武将を集めて反董卓連合が組織されることとなり、袁紹はその代表として掲げられました。しかし激戦を重ねるうちに味方同士の連携が取れなくなり、道半ばにして連合は解散。袁紹は帝を救うことができずにまたも故郷に帰ることとなってしまいました。後に帝は旧友であある曹操によって救い出されました。

袁紹は高い統率力によって、大陸北部の大半を支配するほどの力を手に入れていましたが、帝を守護する曹操と次第に険悪になっていき200年ついに両者は激突することになります(”官渡の戦い”)。

兵数の上では圧倒的に袁紹が有利でありましたが、部下の助言を聞き入れなかったことから袁紹軍の主軸であった2人の猛将が戦死してしまい、味方が曹操側に寝返って兵糧が焼き払われたことで袁紹軍は総崩れとなり大敗してしまうのでした。

あまりのショックに袁紹は領地へ戻るなり血を吐いて倒れ込み202年、失意のうちに亡くなってしまうのでした。

袁紹には3人の息子がいましたが、袁紹が存命のうちに後継者を決めていなかったことから後に争いとなり、それを利用した曹操によってことごとく討ち取られ、隆盛を誇った袁家は滅亡してしまうのでした。

エピソード

・袁紹は身長はそこまで高くなかったものの、容姿端麗にして上品、感情を顔に出すことは少なかったといわれています。しかし、どこか人を信じ切れていない様子もあり、部下の進言に耳を貸さないこともありました。

・袁紹は、統治において仁政を敷いて部下に対して恩賞が行き届いていたため、その死にあって多くの人々が涙を流したといわれています。また、隆盛期の実績においては、孫権劉備でさえ比べ物にならなかったとまでいわれています。

・敵軍に攻められた際に、軍師から一時戦場から退却するよう助言をもらったときには「立派な男たるもの、突撃して死ぬものだ!」と叫び自ら危険に飛び込んでいく勇猛さをみせました。これに奮起した部下たちにより勝利を得ました。

・袁紹は、3人の息子の中でも養子に優れた3男を後継者に据えたいと考えていたようですが、それがかえって後継者問題を発生させてしまったともいわれています。

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私 見

名族出身ということを上手く活用して、一時期は大陸最強の戦力を持つに至った袁紹の手腕は本当に優れたものがあると思います。漫画やゲームでは曹操の引き立て役として語られることが多いイメージでしたが、今回調べてみて印象がガラッと変わりました(笑)

袁紹の長所は、

・自身の出身や能力を活用する方法を熟知していること。

・統治能力が高く、民にも優しいこと。

短所は、

・晩年になるほど、部下の意見を聞かなくなったこと。

・後継者を指名していなかったこと。

こんなところでしょうか。晩年はさすがに名族たるプライドが出てきたのか、意見を広く聞かなかったり、有能な軍師を幽閉したりといった行動を起こしています。最終的には旧友でもあった曹操に一族が滅ぼされてしまうという何とも言えない悲しさが残る武将です。あと少し人のアドバイスを聞き入れる力があればと考えてしまいます。。。

さて、いかがだったでしょうか。皆さんの人生に役立つことはありましたか?

この記事を読んだ方々に幸福が訪れますように!!

袁紹と曹操の激闘が見られる漫画はコレ!!

 







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