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さて、今回は戦国でも屈指の無法者かつ”悪”の魅力あふれる英雄をご紹介いたします!その生涯を一緒に学んで、人生のヒントを見つけていきましょう!
松永久秀:コーエーテクモゲームス
「わしの意図、読める者なぞこの世におらぬわ」
英雄名
松永久秀(まつなが ひさひで)
生 涯(1510~1577年)
日本の戦国史上において「大悪党」の名を欲しいままにする松永久秀は1510年に生まれました。出身地においては諸説あり、幼少期もどのような人物であったかハッキリとはつかめていません。
1533年、久秀は畿内(天子の住む都周辺、当時は京都)の実力者であった三好長慶(みよし ながよし)に書記として仕官しました。優れた事務処理能力と広い教養によって7年後の1540年には奉行職にまで出世します。
主家である三好家は、その後13代将軍:足利義輝(あしかが よしてる)を追放して京都を支配するようになると、久秀は公家や寺社とのパイプ役として、また外敵掃討の大将として活躍。家中での立場をより大きくしていきました。主君:三好長慶が死亡すると、幼い三好義継を跡継ぎに据えて三好家をコントロールするようになっていきます。そして、三好家は13代将軍である足利義輝殺害を行い、畿内の支配を完全なものとしました。
畿内掌握という野望を果たした久秀でしたが、今度はその支配権をめぐって同家内の三好三人衆(三好家の一族・重臣たち3人)と対立。戦の中で久秀は、敵が籠った東大寺を大仏殿ごと焼き払うことも行いました(戦い自体は終始、久秀側が不利であったとされています)。仏をも恐れない久秀の苛烈な所業に混乱きわまる京都。それを鎮めるため1568年、ついにあの男が登場します。
男の名は織田信長。戦国の魔王であり、当時破竹の勢いで領土を拡大していた傑物です。久秀は、この情報を聞きつけると天下に名高い茶器「九十九髪茄子(つくもかみなす)」を持参して信長に降伏しました。信長も前々から久秀に対して一目置いていたこともあり、その降伏を受け入れ、大和(現在の奈良県)の支配権を与えるのでした。
久秀は信長の協力を得たことによって三好三人衆をはじめとする敵勢力を撃破し、逆に信長がピンチに陥った”金ヶ崎の戦い”では的確な策略を用いて、その窮地を救っています。それ以外にも、主に他家との交渉事をはじめ、広く活躍しました。信長としても久秀を得たことで畿内を平定するとともに、足利義昭を15代将軍に据えることができたのです。
しかし久秀の従順な態度もここまで。1572年、信長の存在を脅威とみなした15代将軍:足利義昭が「信長包囲網」を諸大名に発令すると、久秀もこれに加わって信長と敵対しました(フクロウめ、本性を表しおったな!w)。しかし、甲斐の虎:武田信玄の死亡が引き金となって徐々に包囲網は瓦解。久秀は信長に敗れてしまいます。信長は元来短気な性格であったため、久秀の命はないものと思われましたが、この件に関しては自分の城を明け渡すだけで許されました(な、なんで~~!?)。
それでも久秀の野心は未だ衰えず、1577年に再び謀反を起こします。本願寺攻めに苦戦する信長を追い込む作戦でしたが、信長の対応の方が速く久秀は織田の大軍に城を囲まれてしまいます。信長は一気に総攻めを掛けるのかと思いきや、茶器「平蜘蛛」と引き換えに降伏をもちかけました(むむむ・・・あの信長が2度も謀反を許すとはね(+_+))。
これに対して久秀は「平蜘蛛と我が首は信長公のお目にかかることはない」として断り、城に火を放つと「平蜘蛛」を叩き割って自害してしまいました。その日付は奇しくも、久秀が東大寺を焼いたものと同月同日であったといわれています。
エピソード
・久秀は武将、文化人として大変優れていた人物であった反面、ケチで欲が深かったといわれています。また、医療技術の推進を行い、築城技術にも大変優れていました。
・茶人としての地位も高く、天下に名だたる数々の茶器を所有していたといわれています。
・久秀が畿内の支配を目論んだのは、50歳を過ぎた頃からであり年齢を感じさせない行動力が見て取れます。また、健康には非常に気を配っており「人間は日々の養生によって長く生きられることは間違いない」と語ったといわれています。
・信長は久秀を「この老人は、天下3悪(主家乗っ取り、将軍襲撃、寺社焼き払い)を行った者である」と言って人に紹介したといわれています。
・とある仙人に出会ったとき久秀は、「わしは生涯で恐れを抱いたことがない。わしを恐れさせてみよ」と命じました。仙人は部屋を暗くすると、とある女性の幽霊を呼び出して久秀に近づけました。それを見た久秀は顔面蒼白となり、しばらく震えていたそうです。気になるこの女性幽霊は・・・亡くなった久秀の妻だったといわれています。
・戦国の梟雄、大悪党の異名をもつ久秀ですが、近年では「三好家への忠誠心は高かった」「将軍襲撃事件や東大寺焼き討ちに関しては、否定的な意見を持っていた」等、従来のイメージとは違う人物であった可能性もいわれています。
・後の創作において、火薬を用いて茶器とともに爆発して死亡という最期が描かれたものが世間一般に定着し、一部のネット民からは「ボンバーマン」の愛称で親しまれて(?)います。
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私 見
個人として優れた能力を持ちながら、狡猾で野心溢れる生き様を貫いた久秀。部下の失態を基本的には許さない信長が、2度も裏切りを許したのはその破天荒な生き様が自分に似ていたからなのでしょうか。きっと表現しえない複雑な魅力をもった人物であるように思います。
久秀の長所は、
・知勇兼備の武将であり、茶道によって広い人脈があること。
・健康に気を遣い、医療も推進していたこと。
短所は、
・過程はどうあれ、主家乗っ取りや焼き討ちを行っていること。
・年貢未納の領民を苦しませて処刑する等残忍な面があること。
こんなところでしょうか。調べるほどに不思議な二面性を持つ久秀は、果たして天下の大悪党か、あるいは天下の傑物か。皆さんはどう捉えますでしょうか?しかし、信長って斎藤道三や久秀みたいなチョイ悪オヤジ好きだな・・・( ゚Д゚)
さて、いかがだったでしょうか。皆さんの人生に役立つことはありましたか?
この記事を読んでいただいた方に幸福が訪れますように!!
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