大軍相手もお手のもの!真田昌幸とは!?

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皆さん、こんにちは!こんばんは!うまぽよです!

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さて、今回は徳川の大軍を2度も退けた智将をご紹介いたします!

真田昌幸:信長の野望シリーズより

「どれ、敵軍に敗北を馳走してやろう。」

英雄名

真田昌幸(さなだ まさゆき)

生 涯

武田信玄に使える真田幸隆の3男として生まれた真田昌幸。真田家は弱小勢力だったために、幼き昌幸は武田家への人質として差し出されました。

しかし、優れた才能が光る昌幸は、人質でありながら武田信玄の側近として登用され、以後は信玄の近くで軍略を学んでいくこととなります(お前のような人質がいるか(ー_ー)!!)。

29歳の時、長篠の戦いにて2人の兄が戦死してしまい、真田家の当主となりました。そして、信玄や父:幸隆が死亡した後は、武田勝頼を支えようとしましたが、36歳の時に武田家は滅ぼされてしまいます。悩んだ末に昌幸は、北信濃を本拠地に定めて独立し、御家存続のために織田信長と交流を持つようになりました。

すると、今度は織田信長が本能寺の変にて死亡、またも主を失ってしまうと同時に旧武田領が諸大名の草刈り場となり、昌幸は素早い身の振り方を考えなくてはならない状況に置かれてしまいます。

結果、信濃や上野を狙っている徳川家康、上杉景勝、北条氏直の間を状況に応じて渡り歩きながら、真田家の領土保全に注力し、最終的に徳川家康のもとに落ち着くこととなりま~・・・せん!(おいw(゜o゜))

上野の地を巡って争っていた家康と北条家が和睦する際の条件として、上野の沼田と信濃の佐久郡の交換が入っていたことにイラッときた昌幸は、家康の下から離反すると、再度上杉家に帰属したのでした(こりゃあ、大したコウモリ野郎だぜい!)。

まぁ確かに、沼田は昌幸自身で勝ち取った地であり、家康に味方することで得られるはずだったのに、与えられることなくそれが他に明け渡されるなど、認められるわけがありませんわな。

そんなこんなで徳川家と対立。「第一次上田合戦」が発生するわけですが、ここで昌幸は、わずか2,000人弱の兵で、徳川軍7,000人を撃破して勝利。上杉家の援軍もあり徳川軍を退けることに成功します(こりゃあ、すげえ(^○^))。

この後、豊臣秀吉の調停で昌幸は家康の配下となりましたが、所領の処置をめぐって北条家が約束違反をしたことで「小田原征伐」が勃発、北条家は滅亡します。これにより、秀吉与力の大名となった昌幸が上田領を、家康与力となった長男:信之が沼田領を安堵されたことで、以後の真田家は2つに分かれることとなりました。

やがて秀吉が死亡すると、秀吉政権下の武断派と文治派の対立が表面化する等、再び戦乱の予兆が漂い始めます。家康は五大老の1人、上杉景勝と対立し「上杉征伐」の軍を起こすと昌幸もこれに従軍しますが、五奉行の石田三成が反家康を掲げて謀反したことで、一時中止となりました。

このときに、真田家で家族会議が行われ、昌幸と次男:幸村(信繁)は石田三成の西軍に、長男:信之は徳川家康の東軍につくことになりました・・・というのが通説ですが、実は、昌幸の徳川軍からの離反には、沼田の領土問題で大恩ある上杉景勝に味方するためであったとされる説もあります。

そして昌幸は上田城に籠城し、「第二次上田合戦」が開始されます。徳川軍は前回の時よりも遥かに多い、30,000人以上の大軍で攻め寄せました。対する真田軍は2,000~3,000人しかいません。さすがの昌幸も徳川軍に敗北しま~・・・せんでした!!(な、なにぃ~!?(+o+))昌幸は奇策を巡らせてこれに応戦、またしても見事に徳川軍を撃退させるのでした。

しかし、「関ヶ原の戦い」にて西軍側が敗退すると、家康の権力は増大していくこととなります。昌幸も幸村とともに出家して高野山に謹慎処分となってしまい、そのまま1611年に65歳で病没してしまうのでした。

エピソード

・昌幸は、その高い知略や巧みな立ち回りをしたことから「表裏比興(ひょうりひきょう)の者」という異名をもっていました(褒め言葉)。

・幼少期から武田家への人質として差し出された昌幸でしたが、武田信玄に対する忠誠心はとても高かったといわれています。才能を尊重され、身近に置かれたことで、敬愛の念が芽生えたのかもしれませんね。

・昌幸は、めちゃめちゃ手紙書くマンだったと伝わっております。家族から旧臣等に対する手紙が多く残っています。

・昌幸は、自ら築いた上田城と自身の軍略に自信を持っており、徳川軍が侵攻してきても、平然と囲碁を打ち続けていたともいわれています。

・昌幸は亡くなる間際、「あと3年生きたい。私が豊臣家に味方すれば、家康を打ち負かすこともできように・・・」との言葉を残したといわれています。

真田昌幸:信長の野望シリーズより

私 見

大勢力の徳川軍を、寡兵ながら2度も退ける昌幸の知略は、恐ろしくもあり、また頼もしくもあります。味方であれば、こんなに心強いことはありませんが、敵となれば何を考えているのか分からない・・・やはりこの男、只者ではありませんね。

昌幸の長所は、

・知略に優れ、相手が強大であっても見事に撃退していること。

・恩義を感じた者には、必ず味方になっていること。

短所は、

・状況によって、敵味方をコロコロ変えてしまうこと。

・自負心も高く、時代の流れよりも自分の考えを優先してしまいがちなこと。

こんなところでしょうか。短所についても書きましたが、戦乱の時代にあって状況に応じながら立場を変えていかないと、小勢力である自分たちを守ることができなかっただろうとも思います。そして、もし昌幸が生きて大阪の陣で活躍することがあれば・・・これまた歴史が変わっていたかもしれませんね。

さて、いかがだったでしょうか。人生に役立つことはありましたか?

この記事を読んでいただいた方に幸福が訪れますように!!







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