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さて、今回は吉原の遊女とも縁がある、弁財天をいただく神社をご紹介いたします。その歴史を一緒に学んで、人生をより豊かにするヒントを見つけてまいりましょう!
吉原神社:公式HPより
神社名
吉原神社(よしわらじんじゃ)
御祭神
・倉稲魂命(うがのみたまのみこと)
・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
御利益
商売繁盛、財福招来、金運アップ
解 説
江戸の旧吉原遊郭の町の道筋や区画などがそのまま残り、過ぎ去った時を思い起こさせる町の一角に当神社は鎮座しております。
御祭神は、倉稲魂命と市杵島姫命(吉原弁財天)であり、どちらも商売繁盛、財福の招来、金運パワーのアップのご利益を授けてくれる強力な神様です。また、吉原の遊女たちから篤く信仰された吉原弁財天は、特に芸の道の上達とその守護、さらに女性の愛と苦しみを清めて救済までしてくれるということで人気があります。
1617年に幕府が公認する遊郭として開設された元吉原(現在の日本橋人形町)が、「明暦の大火」を機に幕府の命でこの地に移りました。最盛期には数千人の遊女が働いていたとされ、江戸の町人文化が隆盛する中で、流行と文化の発信地となっていたのです。
かつての遊郭には、吉原遊郭の地主神(その土地を守る神様)の玄徳稲荷社と廓の四隅にある稲荷社(五社稲荷)が商売繁盛の守護神として祀られていました。
明治に入ってからの大火で全焼の後に、郭外の大門高札場に一社が創建され、そこに玄徳稲荷と四稲荷が合祀されました。しかし、その後もたびたび火事に見舞われ、関東大震災後に現在の場所へと鎮座されたわけです。
1934年には、郭外の新吉原花園池(弁天池)の中の島に祀られて遊郭の楼主や遊女たちの信仰を集めていた吉原弁天も合祀となり、今の吉原神社が完成しました。以来、五社稲荷と一緒になって新吉原遊郭の繁栄の守護神として崇敬されています。
五社稲荷のうち、特に九郎助稲荷は、旧吉原開設時に鎮守として祀られ、1657年の新吉原移転とともに遷されたことから遊郭内でも特別な崇敬を受けたといいます。
1958年の売春防止法の施行によって、遊郭が廃止されるまでの約300年に渡って吉原を見守り、遊郭の艶めきと遊女各々の苦悩や情念を秘めて鎮まっています。
現在の街並みに昔の遊郭の名残はないものの、華やかな江戸の流行の情報発信地としての面影が吉原神社を通して感じることが出来ると思います。
長年街並みや個人の人生を見守り続けてきたこの神社、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか!?
さて、本日はここまで。皆さんの人生の糧になるようなことはありましたか?
この記事を読んだ方々に幸福が訪れますように!!
公式HP
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