皆さん、こんにちは!こんばんは!うまぽよです!
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さて、今回は日本の歴史上、最強ランクの陰陽師をご紹介いたします!その人生を一緒に学んで、人生のヒントを見つけていきましょう!
安倍晴明:信長の野望シリーズより
「人々の平安のため、我らがいるのです。」
英雄名
安倍晴明(あべのせいめい)
生 涯
晴明の系譜は明らかになってはいませんが、父は官僚:安倍益材(あべのますき)あるいは陰陽師:安倍保名(あべのやすな)とする説があります。また、晴明の生まれのルーツも諸説あり、真実ははっきりしていません。
安倍晴明が登場する平安時代とは、飢餓や天変地異が頻繁に起こり、今のように学問、医療等も発展していなかったため、人々は起きる不幸のほとんどが神や怨霊から受けるものであると信じている時代でした。
そんな時代の中で晴明は、921年に現在の大阪府または奈良県に生まれたとされています。幼少の頃についても確かな記録がありませんが、当時の優秀な陰陽師である賀茂忠行(かものただゆき)・保憲(やすのり)父子から陰陽道を学ぶとともに、天文道を伝授されたといわれています。加茂氏と安倍氏の両家は後に二大陰陽家として世間に認知されていきます。
晴明がまだ幼く、加茂父子に弟子入りしてからしばらくしたある日のこと。晴明が師匠の供として京の町を歩いていると、とんでもないものにでくわします。なんと、道の向こう側から鬼たちの行列が迫ってくるではありませんか!「お師匠様、鬼たちがやってきます!」そう叫ぶ晴明に師匠:加茂忠行は、「よもや悪鬼苦行にでくわすとは。動かず、声も出してはならぬ。」と助言を与え、無事その場を切り抜けることができたのでした。幼き頃から鬼(今回の場合は道具が変化した付喪神:つくもがみ)を認識できた晴明の才能に感心した師匠は、まるで器の水を移し替えるが如く陰陽道を晴明に教え込みました。晴明もよくその教えを学び、高い実力を有するようになっていきました。
930年から京の町では、干ばつが続き、落雷や火事等の天災に悩まされ続けていました。人々は口々にこれを祟りであるとして怖れ、困り果てていました。
そうした中で940年、19歳の晴明は颯爽と宮廷を訪れると、
「この事態を鎮めるには、宮殿の柱の土中にいる2匹の虫を掘り出して、川に流せば良いでしょう」(いやいや、そんなことでは収まらんだろ( ;∀;))
と助言しました。方々は半信半疑であったものの、宮殿の柱の土を掘り返すと確かに2匹の虫がおり、それを川に流した結果、全ての怪異が収まったのでした(な、なにい!?( ゚Д゚)☆)。
948年、27歳になると大舎人(おおとねり)と呼ばれる宮中の警護や宿直、雑用をこなす職に就きました。
960年、40歳の晴明は、天文得業生(今でいう国家公務員でありながら天文道を学ぶ学生の職)でありましたが、村上天皇に占いを命ぜられているあたり、出世は遅れていたものの、占いの才能は既に広く認められていたことが伺えます。そして、47歳で正式な陰陽師となり、50歳になると天文博士という、陰陽師の中でも1人にしか与えられない職に任ぜられました。
977年、師であり兄弟子であった保憲が没した頃から、晴明は陰陽師内でますます頭角を現すようになっていきます。
979年、59歳の晴明は当時の皇太子師貞親王(後の花山天皇)の修業を邪魔する天狗(てんぐ!?)を封ずることを成功させ、更に花山天皇が雨の日の頭痛に悩まされているときには、「前世の頭蓋骨が岩間に挟まっており、雨の日になると岩とこすれて頭痛が起きるのです」と助言。頭蓋骨の場所も正確に言い当てて回収したところ、花山天皇の頭痛はたちどころに治りました。こうした実績から、花山天皇の信頼を受けるようになり、以降は記録にしばしば晴明が占いや陰陽道の儀式を執り行った様子が見られるようになります。
花山天皇の退位後も、人々の病気の回復や日照りを解消する雨乞いを成功させ続け、一条天皇や摂政:藤原道長の信頼を集めるようになったとされています。活躍は多くの人々に知られることとなり、役職や着物等を褒美として賜ったとされています。
陰陽師として名声を極めた晴明は、その後も自身の能力を活かしきり、数々の官職を歴任、従四位下という、極めて特別な活躍をした者にしか与えられない階級まで昇ることとなりました。さらに晴明の2人の息子も出世して、安倍氏は晴明一代の間に、師である忠行の賀茂氏と並ぶ陰陽道の名家としての地位を得ることとなったのです。
そして、1005年、87歳という当時では考えられない年齢まで生き続けたと伝わっております(当時の平均寿命は30歳前後・・・まじか)。
エピソード
・陰陽道とは、中国の周の時代につくられた陰陽五行説をもとに日本流の改定が加わったもので、万物は陰と陽、さらに木・火・土・金・水の五要素の組み合わせによって成り立っており、その変化等を分析して人間世界の吉凶を判断する学問のことであります。
・陰と陽の対局図。 ・晴明紋:五要素を表す。
・晴明の母は、名を葛葉(くずのは)といい、その正体は白い狐であったとされています。晴明の父:安倍保名に助けられた葛葉は女性に化けて現れると二人は夫婦となりますが、晴明が3歳の時に正体がばれて森へ帰ってしまったともいわれています。
・母:葛葉がいなくなって寂しくなった晴明が、母を探しに森をさまよっていると、哀れに思った葛葉が姿を現し、晴明に霊力を授けたと伝わります。それもあってか、晴明は年齢を重ねても若々しい姿であったともいわれています。
・晴明の得意技である「式神」とは、主に紙で人や鳥獣の形を作り、陰陽師が霊力を込めて、実体化させたものです。晴明は、これを12体も召喚でき、日常生活での様々な場面を手伝わせていたといわれています。・・・但し、嫁ウケは悪かったらしいです(笑)
・一説では、呪術師:蘆屋道満(あしや どうまん)とはライバル関係にあったとされています。とある対決では、ミカンが15個入った箱の中身を当てるというもので、道満は「箱の中身はミカンが15個に違いない」といい、晴明は「いや、ネズミが15匹入っている」と答えました。晴明の回答に失望した貴族が箱を開けると、なんと中には15匹のネズミが入っているではありませんか!見事、晴明が勝利を収めるという場面もあります(マジシャン?マジシャンなの??)。
私 見
野村萬斎さんやゲームでのイメージから若い時から陰陽師としてバリバリ活躍しているのかと思いきや、実際は40歳以降に大きく飛躍し始めていたことに驚愕いたしました。また、生涯やエピソードも諸説ありすぎて、長きにわたって非常に人気がある人物だなぁと思う一方で、何が真実なのか分からない人物でもあるなぁとも思いました。
晴明の長所は、
・人々の平安のために、生涯をかけて力を発揮したこと。
・天文学、心理学、暦学等、様々な学問を習得し、現場に活かしていること。
短所は、
・出世欲が高く、行動がしたたかなこと。
・文献がありすぎて人物の実態がよくわからないこと。
こんなところでしょうか。短所の部分は、いつもの通り無理やり出したようなもんです。詳細がよく分からない人物ですが、おそらく誰よりも努力して学問を究め、それを現実世界に活かしていた。また、その活かし方も正確なため、見ている人たちは、まさに奇跡を目撃しているような感覚になり、口コミでドンドン噂が広まっていった人物だったのではないかと予想いたします。
さて、いかがだったでしょうか。皆さんの人生に役に立つことはありましたか?
この記事を読んで頂いた方に幸福が訪れますように!!