英雄か!梟雄か!北条早雲とは!?

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さて、今回は日本に下克上という言葉を広めた武将を紹介します!一緒に学んで人生のヒントを発見しましょう!

北条早雲:信長の野望シリーズより

「この老いぼれの野望、どこまで天下に通じるかのぅ?」

英雄名

北条早雲(ほうじょう そううん)

年 表

まずは、年表でみてみましょう!

1432年 室町幕府の配下である伊勢家に生を受ける
1476年 駿河(静岡県)に入り、今川家の内部対立を解決。
1487年 妹の子である今川氏親を今川家の当主に据えるため、敵対勢力を 
      撃破。これにより、城を得る。
1491年 伊豆を攻め取ると、韮山城を本拠とする。
1493年 堀越公方足利茶々丸を、攻め滅ぼす。
1494年 出家し、「早雲」を名乗る。
1495年 相模(神奈川県)に侵攻。小田原城を獲る。
1501年・1508年 今川氏と共に三河(愛知県)に侵攻。
1512年 鎌倉の地をおさえる。
1516年 三浦氏を攻め滅ぼし、相模の地を支配する。
1519年 病死する。

生 涯

いち早く「下克上」を成功させて、関東の名門である北条家の礎を築いたのがこの北条早雲です。まさに日本の戦国時代の先駆けとなった人物ですが、早雲が国盗りに乗り出したのは、初老に差し掛かる56歳の時でした!すごい!ちなみに、ケンタッキーフライドチキンの創設者:カーネルサンダースさんは、様々な失敗を経験した後、60代からフライドチキンを広げていきました!これもすごい!

それまでの早雲は、駿河で伊勢九郎盛時と名乗って、妹が駿河の守護・今川義忠に嫁に行ったのをきっかけとして今川家に仕えていましたが、それほど高い地位にいたわけではなく、ただ漫然と日々を過ごしていたのです。

しかし、義忠が死亡し、今川家の家督を巡る騒動が起きたときに早雲に転機が来ました。ここで早雲は調停役を勤めて、手際よく事態を収めて多くの者の信用を得たのです。その功績が認められた早雲は、今川家の重臣として用いられます。

さらに年数が経ち、早雲はもう隠居してもよい年齢になりましたが、彼はここから激動の人生を歩むことを自ら選択していきます。

1941年、伊豆(静岡県)は、この地を治めていた堀越公方の足利政知が死去すると、跡目争いが発生して混乱していました。これを耳にした早雲は、初めて国盗りを考えます。湯治と称して伊豆に潜入すると、国内情勢を細やかに分析します。そして、伊豆の兵士が遠征して手薄になったところを突いて堀越御所を襲撃すると、伊豆国を奪い取ってしまいました。

ここで早雲は、伊豆の国人衆に対して「わしに従えば、安全は確保しよう。背くならば屋敷を焼き払うぞ。」といい、これを力によって支配します。一方で、領民達に対しては、年貢の軽減を言い渡し、それまでの圧政に不満をもっていた民達は喜んで早雲を当主に迎えました。

室町幕府の権威が落ち目だったとはいうものの、足利将軍家の者が支配していた土地を、幕府の許可なく統治した早雲の行動はまさに「下克上」。早雲は徐々に今川家の家臣から、野心を持った戦国大名として進化を遂げていくのでした。

伊豆を奪取した早雲は、次に相模(神奈川県)でした。タイミングよく相模の有力な武将達が次々死亡しており、まさにチャンス到来です。早雲は西相模の小田原城を得るために、計略を用います。まずは小田原城城主に贈り物や手紙でご機嫌取りを行います。十分に親交が深まったところで、鹿狩りの約束をとりつけました。鹿狩りの格好に扮した早雲の部下たちが無防備の小田原城を襲撃すると、小田原城はあっさりと陥落したのです。秀吉でさえも苦戦したあの城を!

そして1516年、鎌倉時代からの名族:三浦氏をも滅亡させ、わずか一代で相模全域を手中にしてしまったのです。この時の早雲は86歳です。家督は息子の氏綱に譲りましたが、背後から指示を出し続けており、その野心は亡くなるまで消えることはありませんでした。

エピソード

・通常、侵略者がすぐに土地の民に受け入れられることはありませんが、早雲はアメとムチを巧妙に使い分けることで、瞬時に伊豆を平定したのでした。

・下克上の代名詞ともいえる早雲ですが、その一方で検地を行ったり、家法の制定といった、領民が暮らしやすい方策も実施していました。

北条家とは?

北条家は、この早雲によって起こされました。1476年、駿河(静岡県)の大名である今川氏の内部抗争を解決した功績で領地を得た早雲は伊豆・相模を策略を用いて攻略、勢力を広げていきます。

後継者の2代当主:氏綱は小田原城を本拠として、武蔵(東京・埼玉県)の約半分を領地にしました。

3代当主:氏康の時代には、さらに領地を拡大。武蔵を完全攻略して上野(群馬県)の一部まで攻め取ります。

4代当主:氏政、5代当主:氏直も領地を広げ、関東の大半を支配するに至りました。

しかし、天下人となった豊臣秀吉が、自分に従うように迫ったのを拒否した結果、戦になり最終的には降伏します。氏政は切腹、氏直は追放されて、北条家は滅亡したのでした。

私 見

こんなじいちゃんが親族にいたら、子孫のこっちが怖くなるなぁと感じました。しかし、今まで特に平凡な日々を送っていた男が、策略や時流の流れを的確に用いて誰もが知る大名家になれたという事実は、おそらく多くの者に影響を与え続けたことでしょう。

早雲の長所は、

・当時隠居しても不思議じゃない年齢から、若い世代に負けない野心を燃やして結果大名にまで登りつめたこと。
・本心は分からないが、領民には優しく子孫もその考えを継いでいること。

短所は、

・自身の野望のため、人の信用を利用したり、恐ろしい脅迫をしていること。
・家の格式等にこだわりがなく、無礼なことでも平気でできる。

こんなところでしょうか。まぁ、この短所があるからこその早雲という気もしますが。。。人は何歳になっても夢(野心)をもって、自分が動けばそれを達成できることを体現した事実は素晴らしい武将だと感じます。

いかがだったでしょうか。皆さんの人生に役立つことはありましたか?

この記事を読んでいただいた方に幸福が訪れますように!!







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