友と主君のために!石田三成とは!?

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さて、今回は友を尊び、主君のために命を燃やした智将をご紹介いたします!その生涯を一緒に学んで、人生のヒントを見つけていきましょう!

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「豊臣の世、私が必ず守り切ってみせよう!!」

英雄名

石田三成(いしだ みつなり)

生 涯(1560年~1600年)

智将として知られる石田三成は1560年、石田正継の次男として現在の滋賀県長浜市に生を受けました。家柄としては地方の小豪族であったとされています。

若い頃に、豊臣秀吉によって才能を見出され、父や兄とともに仕えることとなりました。三成は、戦場で先頭に立ち、槍を持って獅子奮迅するようなことはありませんでしたが、物資等の管理といった裏方で力を発揮しました。

なんだそれ・・・戦場に立ってこその戦国武将だろうに!と思ったそこのアナタ!!確かに戦場で大活躍する武将も魅力的ではありますが、戦とは大勢の兵士が投入され、それを維持するための物資が必要不可欠なのです。それが管理されなければ、どれだけの大軍を率いたとしても勝利を得ることはできなくなります。故に、物資管理が得意な三成は重用され、出世していくわけです。

多数の大名が参戦した「四国征伐」や「九州征伐」において、スムーズな物資輸送を完遂させたことに加えて、内政にも類まれな能力を発揮し「太閤検地」においても優秀な働きをみせました。そうした功績が秀吉に高く評価され、やがて豊臣政権での行政トップである五奉行にまで上り詰めることとなりました。

また、三成は自身に大軍を指揮するような才能がないことが分かっていたのか、名軍師かつ猛将として名高い武将:島左近(しま さこん)を部下に迎い入れており、用兵の天才:大谷吉継(おおたに よしつぐ)や、上杉家家老:直江兼続(なおえ かねつぐ)らと頻繁に交流して関係性を構築し、弱点を埋める努力もしていました。

その一方で、月日を経るごとに離れていく関係もありました。秀吉のもとで、共に子飼いの将として育ってきた加藤清正や福島正則らとは徐々に対立。「朝鮮出兵」での物資輸送の滞りが決定打となり、彼らとの関係は完全に崩壊することとなりました。この人間関係の問題を放置したことが、三成の命運を定めてしまうこととなります。

戦国の出世頭:豊臣秀吉が没すると、徳川家康がついに動き出しました。その専横は三成にとって看過できないものであり、同じく重鎮である前田利家とともに家康を弾劾しました。しかし、頼りにしていた利家もその後亡くなってしまいます。更には、対立していた清正や正則らが結託して、大阪で三成を襲撃してくる事件が発生。三成はここで袋小路になってしまいますが、ここでその仲裁を買って出たのはあの家康でした。

この事件によって命は助かった三成でしたが、五奉行の任を解かれて自宅謹慎となってしまいます。家康の力は更に強大なものとなり、我が物顔で政治を行う現状でした。「秀吉様が築き上げた太平の世が汚されていく・・・」見るに見かねた三成は、遂に家康打倒を決意。同士である兼続が賛同して上杉家の軍備を増強するようにみせて家康を誘い出したところで三成が挙兵すると、天下は三成率いる西軍と家康率いる東軍に分裂して争うこととなり、ここに「関ケ原の戦い」の火ぶたが切られたのでした。

三成はまず家康と同等の権力を持つ毛利輝元を総大将に就けると、方々に手を尽くして体制を整えていきました。その努力もあって、あの家康と兵力は5分のところまできました。あとは、全力で戦い決着をつけるのみ・・・そう思っていた三成ですがここで予想外のことが発生します。総大将である輝元が戦場に行かないというのです。これによって、全軍の指揮を三成が行うこととなりましたが、西軍の中には三成をよく思わない者も多く、その掌握は困難でありました。戦の序盤こそは東軍を押し込みましたが、小早川秀秋が突如裏切ったことで西軍は完全崩壊。三成は敗軍の将として落ち延びますが、しばらくして捕縛されてしまいました。

反逆者として処刑が決まった三成でしたが、最期まで志を失わず41歳の命を散らしていったのでした。

エピソード

・三成が幼く寺に仕えていた時、秀吉が訪れました。三成は最初ぬるいお茶、2杯目に少し熱いお茶、最期に熱いお茶を出して秀吉を喜ばせたという話があります(これはおそらく創作かな?でも、ほっこりするよね( *´艸`))

・三成は親しい者には義理堅いものの、視野が狭く、物事の大局を判断することが苦手であったと言われています。そのため、味方も多いが敵も多いという状況を作り出してしまったといわれています。

・三成は処刑の際、喉の渇きを訴えました。兵士から干し柿を勧められますが「柿は胃に悪い」と言って断ります。処刑される者が何を言うと笑われると「武士たるもの、最期まで諦めないものだ」と返答しました(カッコイイじゃない!)。

・部下である島左近を迎え入れるために、三成は自身の石高の半分を渡したと言われています。

・三成の旗印には「一人が皆のため、皆が一人のために戦えば、世の中が平和になる」という意味が込められています。

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私 見

大きな志を掲げながらも、敗軍の将として散ってしまった三成。昔は、狭量で時世を読めない者とみなされてきましたが、実は友を思いやり、最期まで信念を貫いた智将であると再認識され、近年では多くのファンを持つようになりました。

三成の長所は、

・意志が強く、内政も得意であること。

・自分ではどうしようもない弱点を「人」をもって埋めようとしたこと。

短所は、

・人間関係に柔軟さをもてないこと。

・2重、3重に策略を練れないこと。

こんなところでしょうか。その人柄をもって、多くの者を惹きつけ、また対立していった三成ですが、このように少し不器用な感じの人に個人的には好感を持ちます。時代が時代だけに、短所が自分の命運を左右することとなりましたが、現代における私たちも周囲の人間とどういった関係を構築してくのがベストであるのか。そういったことを考えさせられる人物であると思います。

さて、いかがだったでしょうか。人生に役立つことはありましたか?

この記事を読んだ方に幸福が訪れますように!

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